プレザントリーパーフェクト

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欧字表記 Pleasantly Perfect[1][2]
性別 [2]
プレザントリーパーフェクト
欧字表記 Pleasantly Perfect[1][2]
品種 サラブレッド[2]
性別 [2]
毛色 鹿毛[2]
生誕 1998年4月2日[1]
死没 2020年6月3日(22歳没)[3]
Pleasant Colony[1]
Regal State[1]
母の父 Affirmed[1]
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国(ケンタッキー州)[1]
生産者 Clovelly Farms[1]
馬主 Diamond A Racing Co.[1]
調教師 Richard E. Mandella[1]
競走成績
生涯成績 18戦9勝[2]
獲得賞金 7,789,880ドル[1]
勝ち鞍
GIBCクラシック2003年
GIドバイワールドC2004年
GIパシフィッククラシック2004年
GIIグッドウッドBCH2002年・2003年
GIIサンアントニオH2004年
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プレザントリーパーフェクト (Pleasantly Perfect) [2][4] は、アメリカ合衆国生産、調教の競走馬種牡馬。主な勝ち鞍に2003年ブリーダーズカップ・クラシック2004年ドバイワールドカップパシフィッククラシックステークス

  • 特記事項なき場合、本節の出典はEQIBASE[1]

馬体が大きく2歳戦には使われず[5]、3歳時の2001年5月31日にハリウッドパーク競馬場でのメイドン競走でデビューするが、10頭立ての10番手を進んだまま完走できなかった。約半年後の2002年1月にサンタアニタ競馬場のメイドン競走で復帰し、復帰3戦目で初勝利を挙げる。続く3戦はオプショナルクレーミング競走とアローワンス競走に使われて2勝2着1回とし、重賞初出走にしてG1競走初出走のパシフィッククラシックステークスではケイムホームの4着に入る。次走のグッドウッドブリーダーズカップハンデで重賞初勝利を挙げ、アーリントンパーク競馬場で行われるブリーダーズカップ・クラシックに出走する予定であったが、管理していたリチャード・マンデラ厩舎のあるカリフォルニア州とアーリントンパーク競馬場のあるイリノイ州とで馬の鼻出血に関する規則に相違があったため、出走を拒否された[6]

2003年、前半はサンアントニオハンデキャップ英語版サンタアニタハンデキャップの2戦しか使われず、10月になって復帰しグッドウッドブリーダーズカップハンデを連覇してブリーダーズカップ・クラシックに駒を進め、レースでは7番人気の伏兵という立場であったが1番人気のメダグリアドーロを1馬身2分の1差破って優勝[7]。翌2004年は、前年2着のサンアントニオハンデキャップを制し、2戦目に予定していたサンタアニタハンデキャップは熱発で回避したものの、予定通りにドバイミーティングに向かう[8]ドバイワールドカップではブリーダーズカップ・クラシックに続いてメダグリアドーロを長いたたき合いの末に下し、G1競走2勝目を挙げた[4]。帰国後初戦となった8月のサンディエゴハンデキャップ英語版は負担斤量が10ポンド軽かったチョクタウネーションの2着に終わったが[9]、続くパシフィッククラシックステークスではパーフェクトドリフトの追撃を振り切ってG1競走3勝目を挙げた[10]。秋に入って2004年いっぱいでの引退とレーンズエンドファームでの種牡馬入りのプランが公表され、また11月のジャパンカップダートへの出走も匂わせた[11]。連覇をかけたブリーダーズカップ・クラシックは、逃げたゴーストザッパーを捕まえることが出来ず、ロージズインメイにも遅れて3着に終わり、連覇は成らなかった[12]。レース後、左後脚に故障が見つかり、シガーの持つ北アメリカ最多賞金記録の更新を狙って出走予定だったジャパンカップダートも断念して現役を引退した[13]

競走成績

以下の内容は、EQIBASE[1] およびRacing Post[14] の情報および記載法に基づく。

出走日競馬場競走名距離頭数枠番
(PP)
馬番
(Pgm)
着順騎手斤量(lb月/kg換算)タイム着差勝ち馬/(2着)馬
2001年5月31日ハリウッドパークメイドン芝8.5f1055中止B. ブランク116/52.5Modest Man
2002年1月27日サンタアニタメイドンダ8.5f7562着M. スミス121/55(2馬身)Alotta Numbers
2002年2月13日サンタアニタメイドン芝9f9994着M. スミス121/55(5馬身1/2)Somethingdangerous
2002年2月27日サンタアニタメイドンダ8f5561着M. スミス121/551:36.141馬身(Pressure Play)
2002年4月6日サンタアニタオプショナルクレーミングダ8.5f99102着A. ソリス120/54.5(1馬身)Hot Market
2002年6月20日ハリウッドパークアローワンスダ8.5f6341着M. スミス121/551:42.261馬身(Eric Da Bomb)
2002年8月4日デルマーオプショナルクレーミングダ8.5f7221着M. スミス120/54.51:43.923馬身1/2(Jimmy Z)
2002年8月25日デルマーパシフィッククラシックSG1ダ10f14774着A. ソリス124/56(2馬身3/4)Came Home
2002年10月6日サンタアニタグッドウッドBCハンデG2ダ9f9991着A. ソリス115/521:46.803馬身1/4(Momentum)
2003年2月2日サンタアニタサンアントニオHG2ダ9f6663着A. ソリス117/53(3馬身1/4)Congaree
2003年3月1日サンタアニタサンタアニタHG1ダ10f6334着A. ソリス116/52.5(6馬身)Milwaukee Brew
2003年10月4日サンタアニタグッドウッドBCハンデG2ダ9f8221着A. ソリス116/52.51:48.371/2馬身Fleetstreet Dancer
2003年10月25日サンタアニタブリーダーズカップ・クラシックG1ダ10f10221着A. ソリス126/571:59.881馬身1/2Medaglia d'Oro
2004年1月31日サンタアニタサンアントニオHG2ダ9f4441着A. ソリス121/551:47.254馬身(Star Cross)
2004年3月27日ナドアルシバドバイワールドCG1ダ10f12781着A. ソリス126/572:00.243/4馬身(Medaglia d'Oro)
2004年8月1日デルマーサンディエゴHG2ダ8.5f7672着M. スミス124/56(3/4馬身)Choctaw Nation
2004年8月22日デルマーパシフィッククラシックSG1ダ10f8551着J. ベイリー124/562:01.171馬身(Perfect Drift)
2004年10月30日ローンスターパークブリーダーズカップ・クラシックG1ダ10f1312123着J. ベイリー126/57(7馬身)Ghostzapper

引退後

引退後はレーンズエンドファームで供用され[11]、北アメリカにおけるリボー系種牡馬を維持し続けるための存在とみられていた[5]。183頭の勝ち馬を出し、そのうちステークスウイナーは16頭を数えたが、初年度には4万ドルに設定されていた種付料[15]2014年度には5000ドルにまで低下した[16]ケンタッキー州におけるリボー系種牡馬の比率が1パーセントにも満たなくなった2014年秋に、トルコに輸出された[16][17]。トルコ側は、2011年ごろから購買のため接触を重ねていたという[3]

2020年6月3日トルコナショナルスタッドで病気のため死亡した[3]

主な産駒

血統表

脚注

外部リンク

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