三井脩
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熊本県出身[1]。旧制大阪高等学校卒。1943年12月、佐世保第二海兵団(相浦)に入団[2]。1944年、東京帝国大学法学部を卒業[1]。短期現役海軍主計科士官(11期)を志願。同年2月、海軍経理学校に入学し同年9月に卒業。海軍対潜学校に配属。同年12月、海軍主計少尉に任官。1945年、突撃隊(伏龍部隊)に移り終戦を迎えた。同年9月、海軍主計中尉に昇進して解員(復員)した[1][3]。
1946年、内務省に入省し神奈川県に配属。以後、宮崎県総務部地方課勤務、熊本県経済部農務課勤務、国家地方警察徳島県本部警備部長、国家地方警察長崎県本部警備部長、国家地方警察本部警備部警備第一課長補佐、警察庁警備部警備第一課長補佐、警視庁第一方面本部長、山梨県警察本部長、防衛庁防衛局第二課長、警察庁警備局公安第一課長、警視庁公安部長、同警務部長、同副総監、警視庁警備局長、警察庁次長などを歴任[4]。
1981年6月、警察庁長官に就任し1984年9月まで在任した[5]。
警視庁公安部長には過激派による連続企業爆破事件、金大中事件に遭遇したほか[6]、60年安保闘争、学園紛争、土田・日石・ピース缶爆弾事件、ハイジャック事件等の重大事件に関わる[7][6]。警察庁警備局長時代には、開港を間近に控えた成田空港警備の指揮を執るが、一瞬のスキをつかれ、過激派に管制塔を襲撃された(成田空港管制塔占拠事件)[6]。
退官後、日本道路交通情報センター理事長を務めた[4]。