仲小路廉

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生年月日 1866年8月12日
慶応2年7月3日
没年月日 (1924-01-17) 1924年1月17日(57歳没)
死没地 大日本帝国の旗 日本東京府東京市麻布区麻布広尾町(現:東京都港区南麻布
仲小路 廉
なかしょうじ れん
生年月日 1866年8月12日
慶応2年7月3日
出生地 江戸幕府周防国都濃郡徳山(現:山口県周南市
没年月日 (1924-01-17) 1924年1月17日(57歳没)
死没地 大日本帝国の旗 日本東京府東京市麻布区麻布広尾町(現:東京都港区南麻布
出身校 開成学校
前職 検察官
司法官僚
称号 正三位
勲一等旭日大綬章
配偶者 仲小路ヤヱ
子女 仲小路彰(次男)
大日本帝国の旗 第23・27代 農商務大臣
内閣 第3次桂内閣
寺内内閣
在任期間 1912年12月21日 - 1913年2月20日
1916年10月9日 - 1918年9月29日
在任期間 1923年9月26日 - 1924年1月17日
在任期間 1911年8月24日 - 1923年10月27日
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仲小路 廉(なかしょうじ れん、1866年8月12日慶応2年7月3日〉- 1924年大正13年〉1月17日)は、日本検察官司法逓信内務官僚貴族院勅選議員[1]枢密顧問官。旧名・喜久三[2]。号は靄軒。

周防国徳山藩下士・仲小路休量の二男として生まれる[2][3]大阪府立中学を経て、府立開成学校卒業後、1887年明治20年)に高等文官試験司法科の前身である判事検事登用試験に合格。そののち東京控訴院検事司法省参事官などを経て、行政裁判所評定官を務めた。こののち逓信省に転じて大臣官房長を務め、内務省に出向して土木局長、警保局長を歴任した後、1910年(明治43年)には逓信次官となり官僚としての頂点を極めた。

退官後の1911年(明治44年)8月24日、貴族院勅選議員に勅任された[4]1912年(大正元年)に第3次桂内閣農商務大臣として初入閣を果たすが、この内閣は2か月間の短命に終わっている。1916年(大正5年)の寺内内閣で再び農商務大臣となり、この時は約2年間にわたってこれを務めあげている[1]

1923年(大正12年)9月26日には枢密顧問官を拝命し[1]、同年10月27日に貴族院議員を辞任した[5]。それから間もない翌1924年(大正13年)1月17日、脳溢血により満57歳で死去[6]。墓所は青山霊園(1ロ8-1~14)。

栄典

位階
勲章等
受章年 略綬 勲章名 備考
1901年(明治34年)12月27日 勲四等瑞宝章[16]
1906年(明治39年)4月1日 勲三等旭日中綬章[17]
1906年(明治39年)4月1日 明治三十七八年従軍記章[18]
1909年(明治42年)7月21日 勲二等旭日重光章[19]
1915年(大正4年)11月10日 大礼記念章[20]
1920年(大正9年)11月1日 勲一等瑞宝章[21]
1921年(大正10年)7月1日 第一回国勢調査記念章[22]
1924年(大正13年)1月18日 旭日大綬章[15]
1924年(大正13年)1月18日 帝都復興記念章[23]

親族

脚注

参考文献

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