浅沼清太郎

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生年月日 (1920-12-02) 1920年12月2日
出生地 日本の旗 日本神奈川県
没年月日 (2011-11-30) 2011年11月30日(90歳没)
浅沼 清太郎
あさぬま せいたろう
生年月日 (1920-12-02) 1920年12月2日
出生地 日本の旗 日本神奈川県
没年月日 (2011-11-30) 2011年11月30日(90歳没)
出身校 東京帝国大学法学部
称号 正四位瑞宝重光章

在任期間 1974年10月9日 - 1978年6月1日
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浅沼 清太郎(あさぬま せいたろう、1920年大正9年〉12月2日[1] - 2011年平成23年〉11月30日[2])は、日本の内務警察官僚警察庁長官神奈川県出身[1]

旧制一高を経て東京帝大法学部を卒業後、内務省に入省し東京府属となる[3]短期現役海軍主計科士官(9期)を志願し、1942年(昭和17年)9月、海軍経理学校に入学、1943年(昭和18年)1月に卒業し、海軍主計中尉に任官。1944年(昭和19年)5月、主計大尉に進み終戦を迎えた[4]

内閣総理大臣秘書官警察庁長官官房長大阪府警察本部長警察庁警務局長警察庁次長を経て、1974年(昭和49年)警察庁長官に就任。

1978年(昭和53年)に退官し、1979年(昭和54年)から1987年(昭和62年)まで阪神高速道路公団理事長。その他に日本交通管理技術協会会長、都市交通問題調査会理事長、関西空港調査会理事長、民主主義研究会会長等を務めた。

人物評

警察庁長官時代の部下である佐々淳行からの評価は芳しいものではなく、「重大事件が起きるとすぐ入院してしまう」「入院手術が近いのを言わずに長官就任を受諾、就任早々に入院しているときに大事件が発生し町村金五国家公安委員長が『昔の内務省の常識でいうとそういうときは就任を辞退すべきだった』と批判していた」など厳しく批判しており[5]、警備局長時代の浅沼についても、ストレス解消のためのブラック・ジョークにも小言を挟んでくる浅沼に辟易した局員らが「お茶に睡眠剤を入れてのませ、眠って頂いた」としている[6]

略歴

著書

脚注

参考文献

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