三留野宿

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歌川広重木曽海道六十九次・三渡野」

三留野宿(みどのじゅく)は、中山道41番目の宿場(→中山道六十九次)。長野県木曽郡南木曽町に位置する。明治時代の大火で町並みが失われてしまったが、江戸時代には妻籠宿と並んで栄えた宿場町であった[1]

三留野宿では、この地の有力な3家が指導的な役割を担っていた。

鮎沢家は、この跡地にあった大名、公家や幕府の役人のための本陣の主を勤めていた。

宮川家は、道路を挟んだ斜め向かいの脇本陣の主を勤めており、勝野家は、人力を提供し、荷物や商品の配送の手配を手掛けていた。

天保14年(1843年)の『中山道宿村大概帳』によれば、三留野宿の宿内家数は77軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠32軒で宿内人口は594人であった。

JR東海中央本線南木曽駅の北が当時の三留野宿の中心であった。

文久元年(1861年)、皇女和宮が14代将軍の徳川家茂に嫁ぐために中山道を江戸に下向した時に本陣に宿泊した。

明治14年(1880年)には明治天皇が本陣に宿泊している。

明治天皇が飲まれた水は、今では復元されている脇道の遥か先にある井戸から引いたものであった。現在、本陣跡の敷地には南木曽町役場の倉庫が建っている。

明治15年(1881年)7月10日の大火で本陣を含む74軒の家屋と8軒の倉庫が焼失した。

大火より前の建物は何も残っていないが、本陣跡の庭の枝垂れ梅の古木は未だに完全な状態で残っている。

最寄り駅

史跡・みどころ

  • 卯建(うだつ)のある家
  • 塗屋造(ぬりやづくり)の家
  • 本陣跡:明治天皇行在所記念碑が建つ。
  • 等覚寺

妻籠宿までの史跡・みどころ

  • 園原先生碑
  • SL公園
  • ふりそで松:木曾義仲巴御前ゆかりの松
  • かぶと観音:境内には義仲の腰掛石がある。
  • 上久保の一里塚
  • しろやま茶屋
  • 妻籠城址
三代目歌川豊国「木曽六十九駅 美戸野揚籠山・八重桐
歌川国芳木曽街道六十九次之内 三戸野 美止野小太郎(歌舞伎小栗判官の登場人物)」

隣の宿

中山道
野尻宿 - 三留野宿 - 妻籠宿

出典

参考文献

関連項目

外部リンク

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