三留野宿
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三留野宿では、この地の有力な3家が指導的な役割を担っていた。
鮎沢家は、この跡地にあった大名、公家や幕府の役人のための本陣の主を勤めていた。
宮川家は、道路を挟んだ斜め向かいの脇本陣の主を勤めており、勝野家は、人力を提供し、荷物や商品の配送の手配を手掛けていた。
天保14年(1843年)の『中山道宿村大概帳』によれば、三留野宿の宿内家数は77軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠32軒で宿内人口は594人であった。
JR東海中央本線の南木曽駅の北が当時の三留野宿の中心であった。
文久元年(1861年)、皇女和宮が14代将軍の徳川家茂に嫁ぐために中山道を江戸に下向した時に本陣に宿泊した。
明治天皇が飲まれた水は、今では復元されている脇道の遥か先にある井戸から引いたものであった。現在、本陣跡の敷地には南木曽町役場の倉庫が建っている。
明治15年(1881年)7月10日の大火で本陣を含む74軒の家屋と8軒の倉庫が焼失した。
大火より前の建物は何も残っていないが、本陣跡の庭の枝垂れ梅の古木は未だに完全な状態で残っている。


