愛知川宿
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古代・中世の愛知川宿
もと愛知川の渡津集落として発展し[2]、東山道の宿場のひとつとなった[3]。1001年(長保3年)には歌人・赤染衛門が、京から尾張へ赴く途中で七夕の晩にこの地に宿泊し、歌を詠んでいる[2][4]。『太平記』では、1335年(建武2年)京を経った勅使引他九郎や、翌年京に向かう北畠顕家が愛知川宿を経由する[3]。
近世の愛知川宿
江戸幕府道中奉行『中山道宿村大概帳』では、1843年(天保14年)の愛知川宿は家数199軒、旅籠屋28軒[5]、人口929人、町並みは南北5町34間とある[6]。本陣は西澤甚五左衛門が勤め、脇本陣は中田清次郎が問屋と兼帯した[7]。
中山道では、1694年(元禄7年)に作成された助郷帳によって各宿に助郷が定められていた[8]。愛知川宿については、およそ3キロメートル以内に分布する愛知郡の15か村と神崎郡の5村、計20か村が助郷(大助郷)に該当し、さまざまな負担が課せられた[8]。また、彦根藩ではこれらの「大助郷」の下に複数の「小助郷」を置いて負担を分担させる制度があり、彦根藩の領内にあたる大助郷17か村に小助郷が割り当てられた[8]。大助郷・小助郷の村々は、1735年(享保20年)の訴訟をはじめとして、負担軽減を求める行動をたびたび起こしている[9]。しかし1816年(文化13年)には、度々の訴えにもかかわらず負担の大きさが変わっていないとして、藩に対して14か条の仕法を提言した[10]。
1829年(文政12年)に成宮弥次右衛門が愛知川に架橋を計画し、1831年(天保2年)に完成した[11][12]。旅人から通行料を取らなかったため、無賃橋とよばれた[12][13]。
名産
最寄り駅
史跡・みどころ
- 宝満寺
- 真宗大谷派の寺院。江戸時代には25の末寺をもち、門内に等覚寺・乗船寺の2寺を塔頭とした。本堂・正門・経蔵・鐘楼・太鼓堂などが残っている。1752年(宝暦2年)から続く蓮如上人御影道中の御上洛(帰路)の定宿(毎年5月7日)。
- 豊満神社
- 神功皇后の軍旗を祀って創建されたと伝えられ、源頼朝をはじめ多くの武将が戦勝祈願をおこなったといわれ、「旗神さん」と親しまれる。鎌倉時代の四脚門は、国の重要文化財。
- 竹平楼
- 1758年創業の旅籠。明治天皇御小休の部屋が保存されている。現在は料亭。国の登録有形文化財。
- 旧田中家住宅
- 1892年から1919年にかけて整備された麻織物商の田源の別邸。現在は料亭(近江商人亭)として営業。国の登録有形文化財。
- 藤居本家
- 1831年(天保2年)から酒造を営む。長野の大隴神社の周辺に酒蔵が並ぶ。1997年の連続テレビ小説「甘辛しゃん」のロケ地。国の登録有形文化財。
- るーぶる愛知川
- 愛知川駅に併設。ギャラリーおよび観光案内所。
- 愛知川びんてまりの館
- 愛荘町立愛知川図書館に併設。びん細工手まりを展示する。
- 近江鉄道愛知川橋梁
- 愛知川にかかる鉄橋(ポニーワーレントラス橋)。1897年(明治30年)英国ハンディサイド製。国の登録有形文化財[16]。
- 武佐宿までの史跡・みどころ
- 小幡商人発祥の地
- てんびんの里 五個荘町金堂地区(重要伝統的建造物群保存地区)
- 清水鼻の名水
- 奥石神社(おいそじんじゃ)- 本殿は国の重要文化財
- 老蘇の森

