大井宿 From Wikipedia, the free encyclopedia 歌川広重「木曽海道六十九次・大井」 大井宿(おおいじゅく)は、中山道の46番目の宿場。美濃国恵那郡大井村(現・岐阜県恵那市)に存在した。 江戸方から、横町・本町・竪町・茶屋町・橋場と5町があった[1]。それぞれの町は6ヶ所の枡形によって区切られていた。 住民の多くは農商も兼ねていた。大井宿までは信州からの牛荷物も多く往来し賑やかであったという。 大井宿から槙ヶ根追分を経て、下街道を利用する旅人も多かった。なお、川越街道の大井宿(埼玉県ふじみ野市)とは別物である。 尾張藩領(1843年) 人口:466人 家数:110軒[1] 本陣:1軒 脇本陣:1軒 旅籠:41軒[1] 満足和歌集にある岡田善政の大井宿 江戸幕府の旗本で笠松陣屋で美濃国の幕府領を管理していた美濃郡代の岡田善政が満足和歌集に大井宿のことを書き記している。 まさしく たもつといふ年の三年[2]葉月はじめのほど、江戸を出侍り、十六日 まごめの峯 くだるより、みのゝ國を見おろして、今ぞ心おちゐにける。その夜は大井の里にとまる。此所は慶長の末つかたまでは、伊勢の翁[3]のあづかり所にて、たびたび きかよふ里なり。今やどる家のあるじも、むかしのずさなり。ふる人も此家に やどりなれ給ひて しとおもひ出づれば、庭のやり水 かけとまる 心ちらして 涙もよゝと流れそひぬ。物語に、あかしのあま君、おやそんわうの 後を尋ねて、年へてのぼり 住みける都に ちかき大井の宿、むらさき式部が 筆のすさびも 思ひ出られて くみてしる 都の宿の あはれさは こゝも大ゐの 里のいさら井 最寄り駅 JR中央本線・明知鉄道明知線 恵那駅 史跡・みどころ 本陣跡 明治天皇行在所は旅籠から作った[4]。 距離標 上宿石仏群 高札場 本陣跡(岐阜県指定史跡[5]) 中山道ひし屋資料館(大井村庄屋古山家) 宿役人の家(林家) 白木番所跡 中山道広重美術館 西行硯水公園 中山道明治天皇大井行在所(旅籠伊藤家) 大湫宿までの史跡・みどころ 西行塚 槙ヶ根一里塚 槙ヶ根立場 深萱立場跡 名古屋城下に至る下街道(したかいどう)との追分であった。 指定文化財 岐阜県指定文化財 (史跡) 大井宿本陣跡 門は当時のもの 隣の宿 中山道 中津川宿 - 大井宿 - 大湫宿 出典 [脚注の使い方] 1 2 3 “中山道17宿マップ”. 恵那市観光協会. 2024年12月7日閲覧。 ↑ 正保3年(1646年) ↑ 善政の父の岡田善同 ↑ 大井宿 明治天皇行在所(岩井邸). 恵那市観光協会. 2020年01月28日閲覧. ↑ “岐阜県:大井宿本陣跡[おおいじゅくほんじんあと]”. 岐阜県. 2017年6月13日閲覧。 参考文献 児玉幸多『中山道を歩く』中公文庫、1988年 ISBN 4122015561 関連項目 ウィキメディア・コモンズには、大井宿に関連するカテゴリがあります。 外部リンク 恵那市観光協会 中山道 大井宿 岐阜の旅ガイド 中山道 大井宿 赤坂宿散策ガイド 表話編歴中山道 (江戸:日本橋) 板橋 蕨 浦和 大宮 上尾 桶川 鴻巣 吹上(間の宿) 熊谷 深谷 本庄 新町 倉賀野 高崎 板鼻 安中 松井田 坂本 軽井沢 沓掛 追分 小田井 岩村田 塩名田 八幡 望月 芦田 長久保 和田 下諏訪 塩尻 洗馬 本山 贄川 奈良井 藪原 宮ノ越 福島 上松 須原 野尻 三留野 妻籠 馬籠 落合 中津川 大井 大湫 細久手 御嶽 伏見 太田 鵜沼 加納 河渡 美江寺 赤坂 垂井 関ヶ原 今須 柏原 醒井 番場 鳥居本 高宮 愛知川 武佐 守山 草津 大津 (京:三条大橋) 関所 碓氷 | 福島 | 贄川 脇街道 日光御成道 | 川越・児玉往還 | 秩父街道 | 日光例幣使街道 | 三国街道 | 北国街道 | 美濃路 関連項目 五街道(東海道 | 日光街道 | 奥州街道 | 甲州街道) | 中山道六十九次 | 中山道の一里塚一覧 座標: 北緯35度27分20.1秒 東経137度24分53.8秒 / 北緯35.455583度 東経137.414944度 / 35.455583; 137.414944 Related Articles