伏見宿 (中山道)

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歌川広重木曽海道六十九次・伏見」
「伏見宿本陣之跡」

伏見宿(ふしみじゅく)は、中山道50番目の宿場(→中山道六十九次)。美濃国可児郡伏見村(現・岐阜県可児郡御嵩町[1])に存在した。

元禄7年(1694年)に設置[1]。それ以前は土田宿が中山道の宿場となっていたが、木曽川の流路の変化により渡し場が移動し、土田宿が廃宿となったことにより新設された(土田宿は以降は上街道の宿場として存続した)[1]

国道21号がかつての伏見宿付近を貫いているため、宿場町の風情は失われている。

概略

最寄り駅

史跡・みどころ

太田宿までの史跡・みどころ

  • 今渡の渡し場(太田の渡し)跡
    江戸中期に設置[1]。中山道の三大難所の一つであった。1927年(昭和2年)に太田橋が架かるまで渡し船があったが、1902年(明治35年)以降は両岸に組まれた櫓にワイヤーを渡して舟を滑車でけん引する方式になっていた[1]

主な通行

  • 駱駝 - 文政4年(1821年)に長崎に上陸したペルシャ産のヒトコブラクダのオスとメスの2頭は幕府献上品として輸入されたが幕府は受け取りを辞退した[2]。そのため大坂の商人の手に渡って興行目的で行脚することになり、「昼飯村文書」によると伏見宿には江戸に向かう途中の文政7年(1824年)8月6日からの3日間滞在し、多くの見物客を集めた[2]

隣の宿

脚注

関連項目

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