板鼻宿
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本陣・脇本陣・問屋
板鼻宿本陣・木島家は奥州藤原氏の流れをくむとされ、伊勢御師かつ名主を務めた。屋敷は現在の板鼻公民館の位置にあり、間口15間半、奥行30間で地坪465坪、建坪99坪というものであった[3][4]。孝明天皇皇女和宮が江戸へ下向した際は、文久元年(1861年)11月10日に木島家に宿泊し、その書院が復元されている[5]。書院裏には和宮の初潮のものを埋めたという伝承のある石祠がある[6]。
脇本陣・福田家は倉賀野十六騎の一人で守護上杉氏の被官だったとされ、屋敷は間口16間、奥行31間半で地坪504坪であった[3][7]。
板鼻宿には問屋場が2箇所設けられ、月の前半と後半で分かれて2家が交替で務めた。寛政・享和の頃(18世紀末から19世紀初頭)は本陣・本家木島と分家福田が務めたが、弘化2年(1845年)より本家木島に替わり脇本陣本家福田が問屋となり、さらに元治元年(1864年)に分家木島が分家福田と隔月交替で務める形で問屋に加わった[8][9]。
