上土方旦付新田
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| 上土方旦付新田 | |
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| 大字 | |
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上土方旦付新田の航空写真 (2020年6月16日撮影) | |
北緯34度42分48.74864秒 東経138度1分6.13254秒 / 北緯34.7135412889度 東経138.0183701500度座標: 北緯34度42分48.74864秒 東経138度1分6.13254秒 / 北緯34.7135412889度 東経138.0183701500度 | |
| 国 |
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| 都道府県 |
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| 市町村 |
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| 人口情報(2024年11月末日[1]) | |
| 人口 | 60 人 |
| 世帯数 | 22 世帯 |
| 郵便番号 | 437-1437 |
| 市外局番 | 0537(掛川MA) |
| ナンバープレート | 浜松 |
山岳
歴史
上土方旦付新田と呼ばれている地は、もともとは自然村である遠江国城東郡今滝村の一部であった[3]。その後、今滝村から旦付新田が分離独立した[3][4][† 1]。旦付新田は、当初は幕府領となり[5]、のちに横須賀藩領となった[5]。溝口家が庄屋を務めていた[5]。内山真龍の『遠江国風土記伝』によれば当時の旦付新田の石高は16石4斗5升4合であったとされている[4]。農業が盛んであり、米をはじめとする五穀[5]、蕎麦[5]、胡麻[5]、牛蒡[5]、蕗[5]、萵苣[5]、藍[5]、木綿などが栽培されていた[5]。明治元年には駿府藩領となり[5]、明治2年には静岡藩領となった[5]。この旦付新田がのちの上土方旦付新田に該当する[3]。旦付新田は1875年(明治8年)に落合村、嶺向村と合併することになり[5]、新たに上土方村が発足した[5]。
町村制が施行された1889年(明治22年)時点では、この地は静岡県城東郡土方村の一部となっていた。その後の度重なる市町村合併を経て、1973年(昭和48年)4月よりこの地は大東町の一部となった[3]。さらに大東町が掛川市、大須賀町と合併することになり、2005年(平成17年)4月よりこの地は掛川市の一部となった。
地名の由来
「上土方旦付新田」と呼ばれている地は、かつては土形郷の一部であり[4]、時代が下ると「旦付新田」を形成していた[3]。その後、旦付新田は落合村、嶺向村と合併し「上土方村」が設置された[5]。「上土方旦付新田」はそれらの名前に因んでいる。
沿革

- 1871年 - 城東郡が静岡県に移管。
- 1871年 - 城東郡が浜松県に移管。
- 1875年 - 浜松県城東郡落合村、嶺向村、旦付新田が合併して上土方村を設置[5]。
- 1876年 - 城東郡が静岡県に移管。
- 1889年 - 静岡県城東郡下土方村、入山瀬村、今滝村、上土方村、川久保村の大部分、中村の一部が合併して土方村を設置。
- 1896年 - 静岡県佐野郡、城東郡が合併して小笠郡を設置。
- 1955年 - 静岡県小笠郡佐束村、土方村が合併して城東村を設置。
- 1973年 - 静岡県小笠郡大浜町、城東村が合併して大東町を設置。
- 2005年 - 静岡県掛川市、小笠郡大東町、大須賀町が合併して掛川市を設置。
世帯数と人口
事業所
2021年(令和3年)現在の事業所数と従業員数は以下の通りである[6]。
| 大字 | 事業所数 | 従業員数 |
|---|---|---|
| 上土方旦付新田 | 3事業所 | 28人 |
