喜町
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| 喜町 | |
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| 大字 | |
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喜町の航空写真 (2020年6月16日撮影) | |
北緯34度46分22.07752秒 東経138度1分16.72270秒 / 北緯34.7727993111度 東経138.0213118611度座標: 北緯34度46分22.07752秒 東経138度1分16.72270秒 / 北緯34.7727993111度 東経138.0213118611度 | |
| 国 |
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| 都道府県 |
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| 市町村 |
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| 人口情報(2024年3月末日[1]) | |
| 人口 | 129 人 |
| 世帯数 | 45 世帯 |
| 郵便番号 | 436-0094 |
| 市外局番 | 0537(掛川MA) |
| ナンバープレート | 浜松 |
歴史
喜町と呼ばれている地は、もともとは遠江国佐野郡掛川宿の一部であった[7]。具体的には、掛川宿のうち木町が、のちの大字としての「喜町」に該当する[8]。掛川宿は、山内氏領となったが[9]、江戸時代に入ると掛川藩領となった[9]。その掛川宿にある木町では、1823年(文政6年)から1842年(天保13年)にかけて三度大火に見舞われた[8]。この事態を受けて、住民は掛川藩の藩主である太田資功に願い出て[8]、天保15年に「木町」を「喜町」に改名することにした[8]。掛川宿は、明治元年には駿府藩領となり[9]、明治2年には静岡藩領となった[9]。この掛川宿の喜町が、のちの大字としての喜町に該当する[8]。
町村制が施行された1889年(明治22年)に掛川宿は下俣町、十九首町、仁藤村の大部分、大池村の一部、葛川村の一部と合併することになり、掛川町が発足した。その後の度重なる市町村合併を経て、この地は掛川市の一部となった。
地名の由来
掛川宿の木町は、材木を扱う業者が集められたため[8]、それに因んで「木町」[8]と呼ばれるようになった。ただし、文化年間の時点で、材木を扱う業者は掛川宿の西町にはみられるものの[10]、木町にはもう存在しなかったという[10]。
沿革
世帯数と人口
事業所
2021年(令和3年)現在の事業所数と従業員数は以下の通りである[11]。
| 大字 | 事業所数 | 従業員数 |
|---|---|---|
| 喜町 | 4事業所 | 12人 |
小・中学校の学区
交通
バス
- 掛川バスサービス粟本線 - 喜町停留所
- 掛川バスサービス東山線 - 喜町停留所
