大坪台
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| 大坪台 | |
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| 大字 | |
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大坪台の航空写真 (2020年6月16日撮影) | |
北緯34度42分35.70199秒 東経138度2分29.78300秒 / 北緯34.7099172194度 東経138.0416063889度座標: 北緯34度42分35.70199秒 東経138度2分29.78300秒 / 北緯34.7099172194度 東経138.0416063889度 | |
| 国 |
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| 都道府県 |
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| 市町村 |
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| 人口情報(2024年11月末日[1]) | |
| 人口 | 288 人 |
| 世帯数 | 109 世帯 |
| 郵便番号 | 437-1439 |
| 市外局番 | 0537(掛川MA) |
| ナンバープレート | 浜松 |
歴史
大坪台と呼ばれている地は、もともとは自然村である遠江国城東郡上土方村の一部であった[4]。正保郷帳には上土方村として記載されている[5][† 1]。その後、上土方村は落合村、向村、嶺村の3村に分割された[5]。元禄郷帳には落合村、向村、嶺村はそれぞれ別々の村として記載されている[5]。落合村は、当初は横須賀藩領であったが[6]、天和2年に幕府領となり[6]、貞享年間に旗本の室賀氏領となった[6]。当初は青野家が庄屋を務めていたが[6]、のちに高塚家と山崎家が庄屋を務めるようになった[6]。内山真龍の『遠江国風土記伝』によれば、落合村の当時の石高は359石3斗3升7合であったとされている[5]。また、華嚴院の寺田が5石[5]、華嚴院の除地は6石とされている[5]。農業が盛んであり、米をはじめとする五穀[6]、蕎麦[6]、胡麻[6]、牛蒡[6]、蕗[6]、萵苣[6]、藍[6]、木綿などが栽培されていた[6]。明治元年には駿府藩領となり[6]、明治2年には静岡藩領となった[6]。この落合村の一部がのちの大坪台に該当する[4]。落合村は1875年(明治8年)に嶺向村、旦付新田と合併することになり[6]、新たに上土方村が発足した[6]。
町村制が施行された1889年(明治22年)時点では、この地は静岡県城東郡土方村の一部となっていた。その後、土方村は佐束村と合併することになり、1955年(昭和30年)1月1日に城東村が設置された。1956年(昭和31年)になると城東村の大字として上土方落合が設置された[7]。1973年(昭和48年)4月よりこの地は大東町の一部となった[4]。その後、上土方落合の一部が大坪台として分離独立した[4]。さらに大東町が掛川市、大須賀町と合併することになり、2005年(平成17年)4月よりこの地は掛川市の一部となった。
沿革

世帯数と人口
事業所
2021年(令和3年)現在の事業所数と従業員数は以下の通りである[8]。
| 大字 | 事業所数 | 従業員数 |
|---|---|---|
| 大坪台 | 0事業所 | 0人 |
