城下 (掛川市)
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| 城下 | |
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| 大字 | |
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城下の街並み(手前右~奥左) (2019年10月撮影) | |
北緯34度46分26.1192秒 東経138度0分58.3290秒 / 北緯34.773922000度 東経138.016202500度座標: 北緯34度46分26.1192秒 東経138度0分58.3290秒 / 北緯34.773922000度 東経138.016202500度 | |
| 国 |
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| 都道府県 |
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| 市町村 |
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| 人口情報(2024年3月末日[1]) | |
| 人口 | 164 人 |
| 世帯数 | 74 世帯 |
| 設置日 | 1999年 |
| 郵便番号 | 436-0091 |
| 市外局番 | 0537(掛川MA) |
| ナンバープレート | 浜松 |
河川

静岡県掛川市の北部に位置する。合併前の旧掛川市においては南部に位置していた。東から西に向かって細長い形状の大字である。全域が平地であり商店や住居などが多くみられる。西端は静岡県道254号掛川停車場線と接している。北端は逆川と接し、東端は神代地川と接している。
近隣には大字の名称と集落の名称とが一致しない地が散見されるが、城下においては大字としての住所表記は「城下」[2]と記されるのに対し、集落としては城下の東側は他の大字とともに「町東部」[3]を構成し、城下の西側は他の大字とともに「町西部」[4]を構成している。
なお、大字としての城下に関する一帯には、掛川市の自治区である大手町区や緑町区が置かれている[5]。おおむね城下の東側が大手町区にあたり、城下の西側が緑町区にあたる。大手町区は龍尾神社の氏子区域であり[6]、掛川祭では手踊りとして1937年(昭和12年)から「喜撰」を披露しており[7]、1949年(昭和24年)からは「かっぽれ」も披露していることで知られている[7]。緑町区も龍尾神社の氏子区域であり[6]、こちらも掛川祭にて手踊りを披露することで知られている[7]。
- 逆川
- 神代地川
歴史

大字として「城下」と呼ばれている地は、もともとは遠江国佐野郡掛川宿の一部であった[8]。掛川宿は、山内氏領となったが[9]、江戸時代に入ると掛川藩領となった[9]。大字の「城下」に該当する地には、掛川城の大手門や大手門番所が設けられていた[10][11]。しかし、1854年(嘉永7年)の安政東海地震や安政南海地震といった一連の地震により掛川宿は大きな被害を受け、大手門番所も倒壊したが[11]、1859年(安政6年)に復元された[11]。明治元年には駿府藩領となり[9]、明治2年には静岡藩領となった[9]。この掛川宿の一部が、のちの大字としての城下に該当する[8]。
町村制が施行された1889年(明治22年)に掛川宿は下俣町、十九首町、仁藤村の大部分、大池村の一部、葛川村の一部と合併することになり、掛川町が発足した。その後の度重なる市町村合併を経て、この地は掛川市の一部となった。1995年(平成7年)には掛川城の大手門が復元された[10]。さらに区画整理などが行われ、1999年(平成11年)に大字としての城下が設置された。
沿革

世帯数と人口
事業所
2021年(令和3年)現在の事業所数と従業員数は以下の通りである[12]。
| 大字 | 事業所数 | 従業員数 |
|---|---|---|
| 城下 | 31事業所 | 203人 |


