浜川新田
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| 浜川新田 | |
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| 大字 | |
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浜川新田の航空写真 (2020年6月16日撮影) | |
北緯34度39分18.36284秒 東経138度3分11.05726秒 / 北緯34.6551007889度 東経138.0530714611度座標: 北緯34度39分18.36284秒 東経138度3分11.05726秒 / 北緯34.6551007889度 東経138.0530714611度 | |
| 国 |
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| 都道府県 |
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| 市町村 |
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| 人口情報(2024年11月末日[1]) | |
| 人口 | 443 人 |
| 世帯数 | 156 世帯 |
| 設置日 | 1889年 |
| 郵便番号 | 437-1423 |
| 市外局番 | 0537(掛川MA) |
| ナンバープレート | 浜松 |
海洋
歴史
浜川新田と呼ばれている地は、もともとは自然村である遠江国城東郡三俣村の一部であった[4]。その後、三俣村から浜川新田村が分離独立することになり[4][5][† 1][6]、正保年間から元禄年間までの間に浜川新田村が成立した[6]。それ以来、浜川新田村は横須賀藩領となっていた[6]。内山真龍の『遠江国風土記伝』によれば、浜川新田村の当時の石高は46石5斗6升であったとされている[5]。農業が盛んであり、五穀[6]、大根[6]、蔓菁根[6]、辛菜[6]、白瓜[6]、青瓜[6]、冬瓜[6]、西瓜[6]、茄子[6]、甘蔗[6]、木綿などが栽培されていた[6]。漁業も盛んであり、鯛[6]、鰹[6]、鰺[6]、鯖[6]、𬵆[6]、魳[6]、鰈[6]、鰶[6]、鰯などが水揚げされていた[6]。『角川日本地名大辞典』によれば、浜川新田村の鎮守社は近隣の三俣村に鎮座する鹿島大明神社とされており[6]、浜川新田村の檀那寺は近隣の横須賀町の善福寺や長園寺とされている[6]。明治元年には駿府藩領となり[6]、明治2年には静岡藩領となった[6]。この浜川新田村が、のちの浜川新田に該当する[4]。
町村制が施行された1889年(明治22年)に浜川新田村は浜野村や浜野新田村と合併することになり、三浜村が設置された。その際に従来の自然村は大字とされることになり、三浜村の大字として浜川新田が設置された[6][7]。その後の度重なる市町村合併を経て、1973年(昭和48年)4月よりこの地は大東町の一部となった[4]。のちに大東町が掛川市、大須賀町と合併することになり、2005年(平成17年)4月よりこの地は掛川市の一部となった。
沿革

- 正保年間~元禄年間 - 遠江国城東郡三俣村から分立して浜川新田村を設置[6][7]。
- 1871年 - 城東郡が静岡県に移管。
- 1871年 - 城東郡が浜松県に移管。
- 1876年 - 城東郡が静岡県に移管。
- 1889年 - 静岡県城東郡浜野村、浜川新田村、浜野新田村が合併して三浜村を設置。三浜村の大字として浜川新田を設置[6]。
- 1896年 - 静岡県佐野郡、城東郡が合併して小笠郡を設置。
- 1942年 - 静岡県小笠郡三浜村、三俣村が合併して睦浜村を設置。
- 1955年 - 静岡県小笠郡大坂村、睦浜村が合併して大坂村を設置。
- 1956年 - 静岡県小笠郡大坂村、千浜村が合併して大浜町を設置。
- 1973年 - 静岡県小笠郡大浜町、城東村が合併して大東町を設置。
- 2005年 - 静岡県掛川市、小笠郡大東町、大須賀町が合併して掛川市を設置。
世帯数と人口
事業所
2021年(令和3年)現在の事業所数と従業員数は以下の通りである[8]。
| 大字 | 事業所数 | 従業員数 |
|---|---|---|
| 浜川新田 | 24事業所 | 342人 |
小・中学校の学区
公立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[9]。
| 番地 | 小学校 | 中学校 |
|---|---|---|
| 全域 | 掛川市立大坂小学校 | 掛川市立大浜中学校 |
交通
施設
- 睦浜コミュニティ防災センター[10]
- 浜川新田コミュニティセンター
- 大浜愛育園
