平鹿町下吉田
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| 平鹿町下吉田 | |
|---|---|
| 大字 | |
北緯39度18分20秒 東経140度29分12秒 / 北緯39.30542度 東経140.48672度座標: 北緯39度18分20秒 東経140度29分12秒 / 北緯39.30542度 東経140.48672度 | |
| 国 |
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| 都道府県 |
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| 市町村 |
|
| 地域 | 平鹿地域 |
| 人口情報(2020年10月1日現在[1]) | |
| 人口 | 509 人 |
| 世帯数 | 169 世帯 |
| 設置日 | 1957年9月20日[2] |
| 郵便番号 | 013-0107[3] |
| 市外局番 | 182[4] |
| ナンバープレート | 秋田 |
平鹿町下吉田(ひらかまちしもよしだ)は、秋田県横手市の大字。郵便番号は013-0107[3]。人口は509人、世帯数は169世帯(2020年10月1日現在)[1]。旧平鹿郡平鹿町下吉田、旧平鹿郡吉田村大字下吉田、旧平鹿郡下吉田村に相当する。
小字
平鹿地域の北部に位置しており、水田中心の農村地帯である[2]。吉田街道沿いに小規模な集落が点在している[2]。
全域が都市計画区域に含まれるが、区域区分非設定区域となっている[5]。都市計画法上の用途地域には指定されていない[6]。
2024年(令和6年)10月5日時点での「横手市(秋田地方法務局大曲支局)登記所備付地図データ」[7]、デジタル庁公表の「アドレス・ベース・レジストリ」の「秋田県 横手市 町字マスター(フルセット) データセット」[8]、横手市公表のオープンデータ[9]によれば、平鹿町下吉田の小字は以下の通りである。
| 町・字 | 出典 | |||
|---|---|---|---|---|
| 大字 | 小字 | 登記[7] | 町字マスター[8] | 行政区一覧[9] |
| 平鹿町下吉田 | 字石川原 | ○ | ○ | ○ |
| 字一本杉 | ○ | ○ | ○ | |
| 字一本杉大谷地 | ○ | ○ | × | |
| 字一本杉堂ノ後 | ○ | ○ | × | |
| 字下高口 | ○ | ○ | ○ | |
| 字下村 | ○ | ○ | ○ | |
| 字下村道ノ上 | ○ | ○ | ○ | |
| 字下大谷地 | ○ | ○ | × | |
| 字下福田 | ○ | ○ | ○ | |
| 字下福田街道下 | ○ | ○ | ○ | |
| 字下福田街道上 | ○ | ○ | ○ | |
| 字下福田尻 | ○ | ○ | × | |
| 字下福田東 | ○ | ○ | × | |
| 字街道下 | ○ | ○ | ○ | |
| 字街道上 | ○ | ○ | ○ | |
| 字吉田 | ○ | ○ | ○ | |
| 字桑ノ木 | ○ | ○ | ○ | |
| 字桑ノ木下 | ○ | ○ | ○ | |
| 字桑谷地 | ○ | ○ | ○ | |
| 字高口 | ○ | ○ | ○ | |
| 字高口狐森 | ○ | ○ | ○ | |
| 字高口新川端 | ○ | ○ | × | |
| 字高口碇 | × | ○ | × | |
| 字高口東 | ○ | ○ | ○ | |
| 字七日市 | ○ | ○ | ○ | |
| 字七日市下 | ○ | ○ | × | |
| 字除下タ | ○ | ○ | ○ | |
| 字上大谷地 | ○ | ○ | ○ | |
| 字前谷地 | ○ | ○ | ○ | |
| 字大戸川西 | ○ | ○ | ○ | |
| 字大道 | ○ | ○ | ○ | |
| 字鍛治村 | ○ | ○ | × | |
| 字田村堰東 | ○ | ○ | ○ | |
| 字畑中 | ○ | ○ | ○ | |
| 字弥十郎 | ○ | ○ | ○ | |
歴史
下吉田では、古墳時代中期の一本杉遺跡や、平安時代の下村遺跡が発掘調査されている。いずれも集落跡であり、一本杉遺跡では竪穴建物跡5棟、土師器などが出土している[10]。秋田県内において、古墳時代の竪穴建物跡や遺物は各地に点在しているものの、集落全体が調査された例はなかったため、一本杉遺跡は古墳時代の生活の様相を明らかにする上で貴重な事例となっている[10]。下村遺跡は、中世の城郭跡である七日市城跡に南接しており、遺跡からは掘立柱建物跡6棟以上、土坑8基、井戸などが検出されており、平安時代の土師器、須恵器、中世の陶器や漆器椀が出土している[11]。
吉田の地名は鎌倉時代から出羽国平鹿郡の郷村名として見え、江戸時代初期には吉田村となっていたが、元和2年(1616年)に上吉田村・中吉田村・下吉田村の3村に分割された[12][13]。
享保15年(1730年)の『六郡郡邑記』では、下吉田村は3の枝郷の総称で、下福田村・高口村・四ッ屋村がある[14][15]。後年の菅江真澄の『雪の出羽路 平鹿郡』では、四ッ屋村が廃村となり、新たに畑中村・狐塚村が見える[16]。戸数は、『享保郡邑記』では89軒、『秋田風土記』で57軒、『雪の出羽路』で50軒とある[16]。なお、1876年に下吉田村が吸収合併した七日市村は、正保4年(1647年)の『出羽国一国絵図』には八幡村の枝郷根田川村とある[16]。その後、元禄年間に七日市新田村、その後、宝永から享保年間に七日市村となったとされる[16]。枝郷に西谷地村・田尻村・桑野木村があり[16]、雪の出羽路によれば西谷地村は石河原西谷地村になり、田尻村は廃村になったとある[14]。
吉田には「吉田の一本杉」として伝わる、この地方におけるキリシタンの処刑場があったとされるが、その詳細は判然としていない[17]。その所在地については諸説あり、一説には中吉田の西端にある一本杉の地であるとされている[16][17]。
沿革
世帯数と人口
2020年(令和2年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
| 大字 | 小字 | 世帯数 | 人口 |
|---|---|---|---|
| 平鹿町下吉田 | 字田村堰東 | 38世帯 | 115人 |
| 字街道上 | 35世帯 | 104人 | |
| 字畑中 | 28世帯 | 85人 | |
| 字大道 | 4世帯 | 7人 | |
| 字下村道ノ上 | 5世帯 | 16人 | |
| 字高口 | 46世帯 | 144人 | |
| 字一本杉 | 13世帯 | 38人 | |
| 計 | 169世帯 | 509人 | |
人口・世帯数の推移
以下は国勢調査による1995年(平成7年)以降の人口の推移。
| 年 | 人口 |
|---|---|
| 1995年(平成7年)[24] | 812 |
| 2000年(平成12年)[25] | 737 |
| 2005年(平成17年)[26] | 657 |
| 2010年(平成22年)[27] | 588 |
| 2015年(平成27年)[28] | 562 |
| 2020年(令和2年)[1] | 509 |
以下は国勢調査による1995年(平成7年)以降の世帯数の推移。
| 年 | 世帯数 |
|---|---|
| 1995年(平成7年)[24] | 182 |
| 2000年(平成12年)[25] | 181 |
| 2005年(平成17年)[26] | 178 |
| 2010年(平成22年)[27] | 176 |
| 2015年(平成27年)[28] | 176 |
| 2020年(令和2年)[1] | 169 |
