生平町
From Wikipedia, the free encyclopedia
小字
岡崎市の地理的中央部に位置する。町内には男川が流れている。住宅地・水田が河川沿岸に形成されている。その他は基本的に森林である。町域内に小字が配されているが丁番は振られていない。
|
|
世帯数と人口
小・中学校の学区
歴史
| おいだいらむら 生平村 | |
|---|---|
| 廃止日 | 1889年10月1日 |
| 廃止理由 |
新設合併 茅原沢村、岩戸村、古部村、才栗村 秦梨村、須淵村、生平村 切越村、蓬生村 → 河合村 |
| 現在の自治体 | 岡崎市 |
| 廃止時点のデータ | |
| 国 |
|
| 地方 | 中部地方、東海地方 |
| 都道府県 | 愛知県 |
| 郡 | 額田郡 |
| 隣接自治体 |
額田郡 保母村、小美村、茅原沢村、切越村、桜井寺村、池金村 |
| 生平村役場 | |
| 所在地 | 愛知県額田郡生平村 |
| ウィキプロジェクト | |
1889年10月1日に新設合併で茅原沢村、岩戸村、古部村、才熊村、秦梨村、須淵村、生平村、切越村、蓬生村で合併し、河合村となった。そして1955年2月1日に岩津町、福岡町、本宿村、山中村、藤川村、竜谷村、河合村、常磐村の残部が岡崎市に編入された。その後、1997年6月1日に、住居表示の実施により、字西高根の一部が、茅原沢町字茅生の一部となっている。
生平町大火
1961年3月9日。この日は数日来の好天のため異常乾燥注意報が出されていた。午後1時40分頃、生平町の一角から火の手が上がり、風にあおられて次々と草屋根の家に燃え移った。消防車50台が駆けつけたが、手の施しようがなく、被災世帯37棟、被災者51名、死者1名、負傷者7名を数え、近郊農村地帯の火災では空前の大火となった。現在でもこの教訓は生かされ、生平小学校では「生平ふるさとカルタ」を詠み上げることで火災の恐ろしさを語り継いでいる[11]。
交通
- 愛知県道37号岡崎作手清岳線(男川せせらぎ道)
- 愛知県道324号生平幸田線
