西阿知和町
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河川
世帯数と人口
小・中学校の学区
歴史
| にしあちわむら 西阿知和村 | |
|---|---|
| 廃止日 | 1889年10月1日 |
| 廃止理由 |
新設合併 岩津村、八ツ木村、西阿知和村 東阿知和村、西蔵前村、東蔵前村 真福寺村、丹坂村、恵田村 駒立村 → 岩津村 |
| 現在の自治体 | 岡崎市 |
| 廃止時点のデータ | |
| 国 |
|
| 地方 | 中部地方、東海地方 |
| 都道府県 | 愛知県 |
| 郡 | 額田郡 |
| 隣接自治体 |
額田郡 真福寺村、東蔵前村、百々町、東蔵前村 |
| 西阿知和村役場 | |
| 所在地 | 愛知県額田郡西阿知和村 |
| ウィキプロジェクト | |
額田郡西阿知和村を前身とする。平城宮木簡によると、かつては鴨田郷厚石(あついわ)里と呼ばれていたが、やがて転訛したと考えられ、1226年には「阿智波郷」との記述が確認できる。
字於新造にある於新造古墳は、4世紀後半に作られた帆立貝形古墳で、安城周辺の勢力に従属し、長く有力者がいなかったこの一帯に、比較的大きな権力を有する豪族が現れたことが窺える。阿知和との地名の類似性からも、この豪族がやがて『先代旧事本紀』「国造本紀」にある物部連の祖・出雲色大臣の五世孫である參河国造・知波夜命に連なっていくものと考えられる[11]。
三河国司藤原憲長と滝山寺の間で、阿知和郷の帰属が争われたが、12世紀に熱田神宮大宮司の藤原範忠により、滝山寺領として定められたとされる。
滝山寺の勢力の衰えにより、戦国時代には諸勢力により侵され、やがて松平信光の弟・松平信季が西阿知和城を居城とし阿知和氏を称した。江戸時代になり西阿知和村、東阿知和村となった[12]。
史跡
- 西阿知和城
- 大照院
- 若宮八幡宮
- 於新造古墳
- 東簗井場古墳
- 下山田第1号墳
- 下山田第2号墳
- 下山田第3号墳
- 御用田第1号墳
- 御用田第2号墳
- 御用田遺跡
- 御用田南遺跡
阿知和地区工業団地の計画

東名高速道路の東側、青木川の北側、岡崎市北部一般廃棄物最終処分場(東阿知和町字大入1-36)の西側の約57ヘクタールのエリアに「阿知和地区工業団地」を建設する計画が進んでいる[13][14]。住所は東阿知波町字屋根場、同町字大入の一部、西阿知和町字上山ノ田、同町字東簗井場の一部、真福寺町の一部。
2008年(平成20年)7月31日、地元の町内会総代から市に対し計画を是とする内容の要望書が提出され[15]、岡崎市は愛知県企業庁に早期事業採択を求めていた[16]。
2018年(平成30年)11月19日、岡崎市は事業主体を県企業庁から市に移すと発表。県の当初計画では分譲開始が最短で2026年度であったが、市が事業主体になることで2年前倒しすることができると市は説明する[17]。さらに同団地西側の東名高速道路のスマートインターチェンジの設置に向けた調整が容易になるという。
整備地区内には東阿知和町と西阿知和町の2町にまたがって、江戸前期から太平洋戦争終戦後まで使われていた石切り場が見つかっている。2019年度に用地買収、並行して2020年度までの埋蔵文化財の発掘調査を行った後、2021年から造成工事に着手する予定。整備事業費は概算で約171億円[18]。
事業の計画と平行して、「(仮称)岡崎阿知和スマートインターチェンジ」を愛知県道339号長沢東蔵前線と愛知県道335号南大須鴨田線に挟まれた東名高速沿いの土地の南側4分の3ほどの部分に設置することも検討され[19]、2019年(令和元年)9月27日、国土交通省は西阿知和町への設置を正式に許可した[20]。


