鴨田町 (岡崎市)
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小字
岡崎市の北西部に位置する。町内には松平氏菩提寺の大樹寺や、その塔頭を始めとした宗教施設が多数存在し、東部には真福寺道が通る。
かつては町域中央部を名鉄挙母線が通っていた。岡崎市内線と名鉄挙母線の事実上の接続駅だった大樹寺駅が町域中心部にあり、挙母線廃止後は名鉄バス大樹寺バス停(バスターミナル)及び駐車場となっている。
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世帯数と人口
小・中学校の学区
歴史
| かもだむら 鴨田村 | |
|---|---|
| 廃止日 | 1889年10月1日 |
| 廃止理由 |
新設合併 大樹寺村、大門村、上里村、鴨田村、藪田村、百々村 → 大樹寺村 |
| 現在の自治体 | 岡崎市 |
| 廃止時点のデータ | |
| 国 |
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| 地方 | 中部地方、東海地方 |
| 都道府県 | 愛知県 |
| 郡 | 額田郡 |
| 隣接自治体 |
額田郡 薮田村、百々村、瀧村、東阿知和村、井田村 |
| 鴨田村役場 | |
| 所在地 | 愛知県額田郡鴨田村 |
| ウィキプロジェクト | |
額田郡鴨田村を前身とする。8世紀中頃に、額田八郷の一つとして鴨田郷ができた[11][12]。
中世、1467年、鴨田郷に分立されていた松平氏第4代松平親忠が、井田野合戦で勝利したのち戦死者を弔うため井田野の地に念仏堂(現西光寺)を建立し、千人塚を築いた。西光寺は岡崎観光きらり百選に、千人塚は市指定史跡[13]に、それぞれ選定されている。松平氏菩提寺の大樹寺を建立したのも松平親忠とされる[14]。
1560年5月19日昼、桶狭間の戦いで今川義元が戦死。同日夕方に大高城で義元戦死の報を聞いた松平元康(後の徳川家康)は夜半に退城し、翌20日、大樹寺に入った。ほどなく今川軍が岡崎城を退去したため、23日、元康は岡崎城に入城し、自立への第一歩を踏み出した[15][16][17][18]。
沿革
- 1878年(明治11年) - 門前村と合併[19]。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制施行。大樹寺村・薮田村・百々村・瀧村・東阿知和村・井田村と合併し、大樹寺村大字鴨田となる[19]。
- 1906年(明治39年)5月1日 - 合併に伴い、岩津村大字鴨田となる[20]。
- 1928年(昭和3年)5月1日 - 町制施行に伴い、岩津町大字鴨田となる[20]。
- 1955年(昭和30年)2月1日 - 岡崎市へ編入し、同市鴨田町となる[20]。
- 1968年(昭和43年)2月1日 - 一部が鴨田本町となる[21][20]。
- 1976年(昭和51年)3月25日 - 岡崎都市計画中部土地区画整理事業により、一部が井田新町となる[22]。
- 1978年(昭和53年)