鴨田南町
From Wikipedia, the free encyclopedia
番地
岡崎市の北西部に位置する。
|
|
|
世帯数と人口
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[11]。
| 番・番地等 | 小学校 | 中学校 |
|---|---|---|
| 全域 | 岡崎市立大樹寺小学校 | 岡崎市立北中学校 |
歴史
| かもだむら 鴨田村 | |
|---|---|
| 廃止日 | 1889年10月1日 |
| 廃止理由 |
新設合併 大樹寺村、大門村、上里村、鴨田村、藪田村、百々村 → 大樹寺村 |
| 現在の自治体 | 岡崎市 |
| 廃止時点のデータ | |
| 国 |
|
| 地方 | 中部地方、東海地方 |
| 都道府県 | 愛知県 |
| 郡 | 額田郡 |
| 隣接自治体 |
額田郡 薮田村、百々村、瀧村、東阿知和村、井田村 |
| 鴨田村役場 | |
| 所在地 | 愛知県額田郡鴨田村 |
| ウィキプロジェクト | |
額田郡鴨田村を前身とする。8世紀中頃に、額田八郷の一つとして鴨田郷ができた[12][13]。
中世、1467年、鴨田郷に分立されていた松平氏第4代松平親忠が、井田野合戦で勝利したのち戦死者を弔うため、勢誉愚底を招いて井田野の地に念仏堂(現西光寺)を建立し、千人塚を築いた。西光寺は岡崎観光きらり百選に、 千人塚は市指定史跡[14]に、それぞれ選定されている。松平氏菩提寺の大樹寺を建立したのも松平親忠とされる[15]。
1560年桶狭間の戦いで敗れ、大高城から敗走して来た松平元康(後の徳川家康)が大樹寺に逃げ込み、自害を図ろうとしたところ、住職の登誉天室に諭されて思い留まったと伝わる[16]。
江戸時代には大樹寺領及び鴨田天満宮領となる。1878年に門前村と合併。1889年周辺の薮田村、百々村、瀧村、東阿知和村、井田村ともに大樹寺村と合併。その後額田郡岩津町を経て、1955年から岡崎市鴨田町となる。
1976年岡崎都市計画中部土地区画整理事業により井田新町が分離。1978年同事業により鴨田南町、寿町、大樹寺1丁目、同3丁目、薮田1丁目が分離。同年東阿知和土地区画整理組合の事業により堂前町が分離[1]。
町名の変遷
| 実施後 | 実施年月日 | 実施前(各町名ともその一部) |
|---|---|---|
| 鴨田南町 | 1978年(昭和53年)3月21日 | 鴨田町、井田町の一部 |
交通
- 道路
- 国道248号
- 愛知県道26号岡崎環状線(竜北メーンロード)