初瀬音羽子

From Wikipedia, the free encyclopedia

初瀬 音羽子(はつせ おとわこ、1902年明治35年〉2月7日[1] - 1993年平成5年〉9月19日)は、宝塚少女歌劇団(現在の宝塚歌劇団)の元月組男役・元月組組長女優。本名は、村田 八重。旧姓は、東海林[1]。出身については秋田県とするもの[2]東京府とするもの[1]がある。入団時の芸名は初瀬 乙羽子(はつせ おとわこ)[1]

この芸名は小倉百人一首の第74番:源俊賴朝臣

憂かりける 人を初瀨の 山颪よ 激しかれとは 祈らぬもの (うかりける ひとをはつせの やまおろしよ はげしかれとは いのらぬもの

から命名された。

1918年、東京高等女学校(東京女子学園中学校・高等学校などを経て、現在の芝国際中学校・高等学校)卒業後に、7期もしくは8期生として宝塚少女歌劇団に入団した。

1921年?から1928年まで、月組組長を務めた。

1928年、宝塚少女歌劇団を26歳で退団した。

退団後、新国劇の女優・初瀬乙羽として活動した[3]

1993年9月19日に死去した。享年91。

宝塚少女歌劇団時代の主な舞台出演

脚注

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI