前島秀行
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死没地
日本 東京都新宿区
(東京女子医科大学病院)
(東京女子医科大学病院)
| 前島 秀行 まえじま ひでゆき | |
|---|---|
| 生年月日 | (1941-06-27) 1941年6月27日 |
| 出生地 |
|
| 没年月日 | (2000-02-10) 2000年2月10日(58歳没) |
| 死没地 |
(東京女子医科大学病院) |
| 出身校 | 早稲田大学政治経済学部 |
| 前職 | 日本社会党書記局員 |
| 所属政党 |
(日本社会党→) 社会民主党 |
| 選挙区 |
(旧静岡2区→) 比例東海ブロック(静岡5区) |
| 当選回数 | 4回 |
| 在任期間 | 1986年7月6日 - 2000年2月10日 |
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前島 秀行(まえじま ひでゆき、1941年6月27日 - 2000年2月10日)は、日本の政治家。衆議院議員(4期)。社会民主党国会対策委員長などを務めた。
富士宮市出身。静岡県立富士高等学校、早稲田大学政治経済学部を卒業し、日本社会党書記局に就職。
その後、党総務部長などを務め、1986年に勝間田清一の後継として第38回衆議院議員総選挙に旧静岡2区から立候補し初当選。以後4期連続当選。副書記長などを歴任。社会民主党への改組後も党に残り、党総務部長に就任。1998年には国会対策委員長に就任する。
4期目の当選は、小選挙区比例代表並立制の導入となったため、静岡県第5区からの立候補となったが落選し、重複立候補していた比例東海ブロックでの復活当選となった。
国会開会中の2000年2月3日夜、九段宿舎で身体の不調を訴え東京女子医科大学病院に搬送されたが、同月10日に死去した。58歳没。同年3月7日、同じ静岡県選出で親交の深かった自由民主党の柳沢伯夫が衆議院本会議で追悼演説を行った[1]。前島の死去による欠員補充として、比例東海ブロック社会民主党比例名簿から、次点者の菊地董が繰上当選となった[注釈 1]。
脚注
注釈
- ↑ 菊地は重複立候補していた静岡県第7区では供託金没収(得票率8.47%)で落選していたが、当時は公職選挙法で重複立候補者の供託金没収点未満による衆議院比例区の当選資格喪失が適用されていなかった(適用は第42回衆議院議員総選挙から)ため、菊地が繰上当選となった。
出典
| 党職 | ||
|---|---|---|
| 先代 秋葉忠利 |
社会民主党国会対策委員長 第3代 : 1998年 - 2000年 |
次代 中西績介 |
| 第41回 (定数23) |
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|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 第42回 (定数21) |
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| 第43回 (定数21) |
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| 第44回 (定数21) |
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| 第45回 (定数21) |
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| 第46回 (定数21) |
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| 第47回 (定数21) |
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| 第48回 (定数21) |
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| 第49回 (定数21) |
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| 第50回 (定数21) |
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| ↓:途中辞職、失職、在職中死去など、↑:繰り上げ当選。 | |||||||||||||||||
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