田村謙治

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生年月日 (1968-03-19) 1968年3月19日(57歳)
所属政党民主党前原G野田G旧細野G)→)
希望の党
田村 謙治
たむら けんじ
生年月日 (1968-03-19) 1968年3月19日(57歳)
出身校 東京大学法学部
前職 衆議院議員
所属政党民主党前原G野田G旧細野G)→)
希望の党
称号 法学士(東京大学 1991年)
公式サイト 田村けんじ公式サイト
選挙区比例東海ブロック→)
静岡4区
当選回数 3回
在任期間 2004年11月15日[1] - 2012年11月16日
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田村 謙治(たむら けんじ、1968年3月19日 - )は、日本の元政治家。元衆議院議員(3期)。元内閣府大臣政務官。ベンチャー企業数社顧問、一般財団法人役員、ゆうばり国際ファンタスティック思い出映画祭 運営委員会事務局マネージング・ディレクター。

生い立ち

東京都練馬区出身。筑波大学附属駒場中学校・高等学校東京大学法学部卒業。

官界にて

1991年大蔵省(当時)に入省。配属先は銀行局総務課[2][3]。直属の上司である総務課企画官に畑中龍太郎がいた[4]1992年銀行局特別金融課1993年ミシガン大学大学院に留学する。1995年7月、主税局調査課外国調査第一係長[5]2002年財務省を退官し山村健衆議院議員の政策秘書になる。2003年11月の第43回衆議院議員総選挙に、民主党公認で静岡4区から出馬するも小選挙区で敗れ、比例復活もならず落選。

政界にて

2012年5月、シンガポールにて国務大臣(外務・内務担当)マサゴス・ズルキフリ(中央)、衆議院議員仙谷由人(左から2人目)、谷田川元(右から2人目)、三宅雪子(右端)らと

2003年11月の総選挙において田村は当初、民主党比例東海ブロックの落選者の中で、津川祥吾浅野真に次いで惜敗率が3位であったが、比例復活で当選した愛知10区佐藤観樹が秘書給与詐取により辞職したことで、次点の津川が繰り上げ当選。続いて、次々点の浅野が公職選挙法違反容疑により公判中だった2004年3月、比例区名簿から削除された。田村は3位から次点に繰り上がり、2004年11月4日に都築譲が公職選挙法違反により辞職したため、繰り上げ当選した。

2005年9月の第44回衆議院議員総選挙では、小泉旋風の煽りを受けて静岡4区では敗れたが、比例東海ブロックで復活し再選。

2009年8月の第45回衆議院議員総選挙では、初めて静岡4区で当選し、3選。同年9月、鳩山由紀夫内閣内閣府大臣政務官に就任。2010年6月に発足した菅直人内閣でも再任された。同年9月、菅直人改造内閣発足に伴い退任し、民主党総括副幹事長に就任。2011年1月、副幹事長を退任し、民主党政策調査会副会長に就任。同年6月、民主党静岡県連会長に就任。

2012年12月の第46回衆議院議員総選挙および2014年12月の第47回衆議院議員総選挙では、いずれも小選挙区で敗れ、比例復活もならず落選した[6]。2015年2月16日に民主党静岡県第4区総支部長を辞任。政界引退は否定している[7]

2015年3月に活動の拠点を東京に移し、楽天株式会社アドバイザー、政策研究大学院大学客員研究員などを務めた[8]

2017年9月28日、民進党希望の党への合流を決定[9]。10月1日、東京16区初鹿明博は記者会見し、希望の党ではなく民進党の公認で立候補したいと表明した[10]。10月3日午前、新党「立憲民主党」が設立され[11]、初鹿は設立届に名を連ねた[12]。同日午後、希望の党は衆院選の第1次公認192人を発表。同党が東京16区に田村を擁立したことが明らかとなった[13][14]。10月22日に行われた第48回衆議院議員総選挙に希望の党公認で東京16区から立候補。小選挙区では自民党の大西英男が当選。立憲民主党の初鹿は比例復活で当選。田村は3番目の得票数で落選した。

現在は、ベンチャー企業数社の顧問、一般財団法人役員を務めている[8]

2025年、第35回ゆうばり国際ファンタスティック思い出映画祭 運営委員会事務局マネージング・ディレクターに就任[15]

政策・主張

所属していた団体・議員連盟

人物

論文

脚注

外部リンク

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