小山千帆

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生年月日 (1975-04-14) 1975年4月14日(51歳)
出身校 富士短期大学(のちの東京富士大学短期大学部)経済学科第Ⅰ部
前職 会社員
小山 千帆
こやま ちほ
2024年11月23日、設楽ダム本体工事着工式にて
生年月日 (1975-04-14) 1975年4月14日(51歳)
出生地 日本の旗 日本 神奈川県横浜市
出身校 富士短期大学(のちの東京富士大学短期大学部)経済学科第Ⅰ部
前職 会社員
所属政党れいわ新選組→)
無所属→)
立憲民主党重徳G)→)
中道改革連合→)
無所属
公式サイト 小山ちほ 第50回衆議院議員選挙候補者 愛知第15区(豊橋市・田原市)
選挙区 比例東海ブロック愛知15区
当選回数 1回
在任期間 2024年11月1日 - 2026年1月23日
当選回数 1回
在任期間 2023年5月2日 - 2024年7月26日
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小山 千帆(こやま ちほ、1975年4月14日 - )は、日本政治家

衆議院議員(1期)、埼玉県川口市議会議員(1期)を歴任した。

神奈川県横浜市生まれ。横浜市立吉原小学校横浜市立港南中学校神奈川県立横浜日野高等学校、富士短期大学(のちの東京富士大学短期大学部)経済学科第Ⅰ部を卒業。1996年より株式会社島忠1999年より株式会社アール・ティー・ジー・ジャパンイオン合併会社)、2002年より株式会社ニトリ2007年より株式会社桜会(特別老人施設)で勤務し、同年、福祉環境コーディネーター、訪問介護員2級を保有する[1]

結婚後に埼玉県川口市へ転居し、2男を出産。長男に発達障害、次男に国指定の難病があり、子育てがひと段落した2021年より障がい福祉会社「LITALICO」にてライフコンサルタントとして活動を始める[2][3]

2023年4月23日執行の川口市議会議員選挙に、れいわ新選組公認で立候補し初当選[4]。同年6月同市議会においては立憲民主党、れいわの共同会派が反対する「一部外国人による犯罪の取り締まり強化」を求める意見書に賛成した。2024年5月にれいわ新選組を離党、同年7月26日に市議を辞職した[5]。離党の理由として、特別支援教育のあり方などを巡る考え方に党と隔たりが生じたことを挙げた[6]

市議を辞職した直後の7月30日に立憲民主党の衆議院愛知15区総支部長に就任。小山によれば豊橋市が義父の故郷だという[7]。一方で小山が川口市議時代に立憲民主党が反対する意見書に賛成した経緯から、多文化共生を重んじる党のスタンスと矛盾するとの批判が党所属議員や支持者から上がり、党選対委員長の大串博志は小山から「固有の地域事情を踏まえた」との説明があったとし、「党本部、愛知県連、埼玉県連として、一定の理解をした」と説明した[8][9]。なお、小山は意見書に賛成した時点では議会関係者に「私の自宅の前でも毎日、暴走車両が通り抜けて、近所から苦情が殺到している。到底見過ごすことはできなかった」と話していたと産経新聞は報じたが[10]、市議辞職以降は移民問題に関する取材を拒否している[5]

2024年8月9日の記者会見では福祉や子育ての政策に力を入れたいと話した[11]

同年10月27日執行の第50回衆議院議員総選挙では自由民主党前職の根本幸典に敗れ、日本維新の会公認の元職関健一郎にも届かず得票数3位となったが、重複立候補していた比例東海ブロックで当選(惜敗率60.32%、党内6議席中5位)した[12]

2026年2月8日に執行される第51回衆議院議員総選挙を前に、立憲民主党と公明党の衆議院議員が参加して結党された新党「中道改革連合」に参加し、同党の公認で愛知15区から立候補したが、自民党への追い風と中道に対する逆風もあり、投開票の結果は小選挙区で根本に票を大きく引き離されて敗れたうえ、比例復活も果たせず落選した[13]。選挙後の3月20日、中日新聞の取材に対し、近く中道改革連合を離党し、政治活動からいったん退く意思を示した[14]

4月15日、国民民主党日野紗里亜衆議院議員の秘書に就任したことをX(旧twitter)上で明かした[15]

中道改革連合は同23日に小山の離党を発表[16]

選挙歴

脚注

外部リンク

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