神野卓哉

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愛称 ジン[1]
カタカナ ジンノ タクヤ
ラテン文字 JINNO Takuya
国籍 日本の旗 日本
神野 卓哉
名前
愛称 ジン[1]
カタカナ ジンノ タクヤ
ラテン文字 JINNO Takuya
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1970-06-01) 1970年6月1日(55歳)
出身地 埼玉県草加市[2]
身長 180cm[3]
体重 75kg[3][1]
選手情報
ポジション FW[3]MF
利き足 左足
ユース
1986-1988 日本の旗 修徳高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1989-1995 日本の旗 日産/横浜マリノス 113 (12)
1996-1998 日本の旗 ヴィッセル神戸 87 (13)
1999 日本の旗 大分トリニータ 36 (19)
2000 日本の旗 FC東京 18 (4)
2001 日本の旗 大分トリニータ 9 (0)
2001-2003 日本の旗 横浜FC 75 (16)
通算 338 (64)
代表歴
1988  日本ユース
1992 日本の旗 日本 0 (0)
監督歴
2017-2020 日本の旗 ニッパツ横浜FCシーガルズ
2024 日本の旗 いわてグルージャ盛岡
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

神野 卓哉(じんの たくや、1970年6月1日 - )は、埼玉県草加市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションは主にフォワード(FW)。初代J2得点王[4]

修徳高校在学時に頭角を現し、2年次には東京都選抜の一員として国体でベスト4[5]、3年次には高校総体でベスト8に進出した[6]

1989年に同校を卒業し、日本サッカーリーグ1部の日産自動車サッカー部(現横浜F・マリノス)に加入。当初は日産の厚い選手層の中で出場機会を得られずにいたが、1990-91シーズンにオスカー監督の抜擢によりリーグデビュー[7]。縦への鋭い突破で、第8節の読売サッカークラブ(現東京ヴェルディ)戦で初得点を決めると、その後も1990-91シーズン後期、1992年のJリーグカップ第72回天皇杯全日本サッカー選手権大会決勝延長戦での決勝ゴールなど[8]、読売クラブや後継の東京V戦になると得点を重ねたことから読売キラーの異名で呼ばれ[9] スーパーサブとして活躍した[10]

1991年にバルセロナ五輪予選代表に選ばれ、翌1992年のアジア最終予選に出場[5]。またハンス・オフト監督時代には日本代表にも召集され、アジアカップのメンバーにも選出されたが、国際Aマッチ出場機会はなかった。

1996年、ジャパンフットボールリーグヴィッセル神戸へ移籍。同年のリーグ戦で二桁得点を挙げ、翌年からのJリーグ昇格に貢献したが、Jリーグでは振るわず1998年限りで契約非更新となる。1999年よりJリーグは2部制(J2創設)となり、J2・大分トリニータに加入。MF崔大植という良きパートナーを得たことで[11] 持ち前のスピード[5] も活き、経験で培ったポジショニングとアイデアで[10]ウィル真下佐登史ツゥットらとの得点王争いを制して初代J2得点王となった。

2000年、J1・FC東京へと移籍。ゴール前へ飛び込む勇気を評価されていたが[10]、負傷による出遅れの間に[12] FWにはアマラオとツゥットの2トップが定着。攻撃の活性化を図るための途中出場や、アマラオ負傷の間の穴埋めといった役割が主となり、1年限りで退団した[13]。2001年には大分へ復帰。

2001年7月よりJ2・横浜FCへ移籍。合流直後のサガン鳥栖戦で早速得点を挙げ[14]、主力の一角として活躍した。2003年限りで現役を引退[15]。2004年[15]から2009年まで同クラブで強化担当を務めた[16]

2010年より株式会社オンゼの代表取締役に就いている。2011年、ガイナーレ鳥取強化部スタッフを務める。同年、A級コーチジェネラルライセンス取得[17]

2012年より、アビスパ福岡のチーム統括部長に就任[18]。同年S級ライセンス取得[19]。福岡のJ1復帰を果たせず、2014年限りで退任[20]

2015年よりAC長野パルセイロの強化部長に就任[21]。2016年11月退任[22]

2017年6月、古巣である横浜FCの会長兼スポーツダイレクターである奥寺康彦から「やってくれ」とのオファーを受け[23]ニッパツ横浜FCシーガルズ の監督に就任[24]

2020年10月14日、ニッパツ横浜FCシーガルズと監督の契約を解除して退任した[25]

2021年シーズンよりFC琉球の強化部長に就任[26]。2022年シーズンまで務めた。

2023年シーズンは、いわてグルージャ盛岡の強化部長に就任。シーズン途中の5月にGMに就任、強化部長との兼任業務となった[27]

2024年5月8日、中三川哲治の後任として岩手の監督に就任。GM職も兼任する[28]。同年8月18日、岩手の監督を退任。兼任していたGMおよび強化部長は続投する[29]。同年11月25日、GM兼強化部長から退任した[30]

2025年、J3に加盟したばかりの高知ユナイテッドSCのヘッドコーチに就任[31]。同年6月29日、パワハラ指導の申し立てを受けた秋田豊監督が休養することに伴い、当面の間チームの指揮を取ることとなった[32]

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本リーグ戦JSL杯/ナビスコ杯天皇杯期間通算
1989-90日産22JSL1部0010
1990-9115400
1991-921915010
1992横浜M-J-9352145
19931922000212
19942532000273
1995393-10403
1996神戸11旧JFL3010-323312
1997J2916020371
19982823021333
1999大分28J2361941364326
2000FC東京15J11842000204
2001大分28J29040-130
横浜FC26258-452913
2002164080020428
2003100-00100
通算日本J1 1581524310319221
日本J2 120358191113747
日本JSL1部 30420
日本旧JFL 3010-323312
総通算 33864344
その他の公式戦
出場歴
  • 1993年5月19日:Jリーグ初出場 - サントリーシリーズ第2節 vsガンバ大阪 (三ツ沢)[3]
  • 1993年7月3日:Jリーグ初得点 - サントリーシリーズ第15節 vs鹿島アントラーズ (カシマ)[3]

代表歴

指導歴・職歴

タイトル

脚注

関連項目

外部リンク

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