双水執流

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発生国 日本の旗 日本
発生年 江戸時代
創始者 二神半之助正聴
源流 竹内流
双水執流
そうすいしりゅう
双水執流第15代舌間修三が演ずる掬座返
発生国 日本の旗 日本
発生年 江戸時代
創始者 二神半之助正聴
源流 竹内流
公式サイト 一般社団法人隻流館(SEKIRYUKAN)
双水執流柔術会 社団法人隻流館
双水執流組討腰之廻 清漣館
双水執流小具足腰之廻 光尊会
伝承地 福岡県東京都
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双水執流(そうすいしつりゅう、そうすいしりゅう)は日本武術柔術居合の流派。

福岡県の隻流館に伝わる双水執流は福岡市無形文化財に指定されている。


流祖は二神半之助正聴(ふたがみはんのすけまさあき)で、承応年間に創始したと伝わっている[1]。はじめに竹内流を竹内流開祖の竹内久盛の弟子であった父から学び後に二神流を創始[2]。その後吉野の山中に三十七日参籠し大悟し、二神流を改め双水執流組討腰之廻と称した。寛文年間二神は福岡藩で馬廻組に就き[3]、後直方舌間家によって東蓮寺藩で伝承、寛延四年に舌間宗益によって福岡藩に伝承された。竹内流から派生した流派だが、竹内流では「腰之廻」は1尺2寸の短刀を用いた組討技法を指すが、現在の双水執流では居合のことを「腰之廻」と呼ぶ。なお、江戸期に江戸に伝播したという記録は残っていない。

明治21年、警視庁に招かれた松井百太郎宗忠(まついひゃくたろうむねただ)によって東京にも伝播しており[4]、現在は福岡と東京にて伝承されている。また昭和以降、海外に伝播した流れもある。

2005年に舌間萬三宗利が福岡市無形文化財保持者に認定された。隻流館には1868年(慶応3年)に第12代の舌間慎吾宗継が考案した千本取という修業法が伝わっており、1人の試練者が約8時間かけて千本の乱取りに挑むというものであった。

1911年(明治44年)に京都武徳殿で開かれた「青年大演武会」(柔術16歳以上20歳未満の選抜勝負の部)で準優勝となった岡部平太も隻流館の門人であり、1912年(明治45年)2月16日に千本取りに挑み通常より3時間早い5時間で成し遂げている。

系譜

福岡に伝わる系統[5] [6] [7]
  • 二神半之助正聴 - 承応
  • 田代清次郎則忠 - 寛文六年十一月十四日
  • 舌間新次郎宗督 - 天和三年四月十五日
  • 舌間喜兵衛宗一 - 元禄十年八月十二日
  • 大野弥兵衛宗勝 - 享保三年五月七日
  • 舌間作五郎宗廉 - 同十年正月二七日
  • 榎本久右衛門忠直 - 同十五年十月五日
  • 舌間七郎宗益 - 元文四年九月十五日
  • 臼杵九十郎宗直 - 安永三年九月十一日
  • 舌間眞次郎宗章 - 文化十五年一月十三日
  • 舌間弥五郎(忘多)宗綱(十一代・十三代)- 天保四年十一月十八日
  • 舌間愼吾宗継
  • 青柳喜平正聰
  • 舌間修三宗聴
  • 舌間萬三宗利(現在)
東京に伝わった系統(11代舌間宗綱高弟、松井百太郎以降)[8] [9] [4]
  • 十一代:舌間弥五郎宗綱
    • 松井百太郎宗忠 - 明治二一年
      • 松井福次郎宗継
      • 佐藤昇一郎 - 大正六年
      • 佐々木章次 - 昭和二年十月
      • 杉山正太郎 - 昭和二年
        • 北島胡空 - 昭和三九年
          • 臼木良彦宗隆 平成十年〜現在
          • 島村武司
            • 伊藤學
            • 木村昭夫 現在


内容

隻流館に伝わる形は下記の通りである。 隻流館では柔術を居捕・対徒手・四ッ組・対小太刀・その他の五つに分類して教えている。

隻流館に伝わる形

組討
居取
松風返、胸搦、引伏、引廻、白刃取、小手返、乱勝、逆殺
対徒手
胸取、諸手打、行違、道連、追掛、山颪、水車、翼〆
四ツ組
込腰、大浪、大返、草摺返、車返、小手搦、腹帯返、腰返
対小太刀
篝、折枝、抜打、替身、取入、刎腰、浪返、菊座返
その他
延勝、錣引、押勝、襟返、天理勝、柄留、柄返
腰之廻
向二刀(移水刀、金光刀)
脇二刀(発車刀、雷光剣)
後一刀(火車刀)
中段
真向碎、突留、篭手落、風波之釼、逆手抜、龍勢釼、虎勢刀、稲妻、鎧通、二方詰
立会
行会、行違、道連、呼掛
戸入

参考文献

脚注

外部リンク

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