霊山竹生嶋流

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霊山竹生島流(りょうぜんちくぶしまりゅう)は、陸奥国伊達郡霊山(現・福島県伊達市)で伝承されたという竹生島流棒術の一派。

なお、現在は長崎で伝承されている庄内藩伝の竹生島流棒術とはかなり異なる。

時代は不明だが、槍の名手であった榊山左京太夫(さかきやまさきょうだゆう)が竹生島で小太刀の名人と対峙した際、竹やぶに追い込まれ、全ての技を無効化されて矛先を切られ、絶体絶命の窮地に陥った時、瞬時の思いつきでそれまでの槍の遣い方を裏返して勝ちを取った事から始まったとされる。その逆転の発想から編み出した棒術を竹生嶋流と称した。

言い伝えに寄れば南北朝時代北畠顕家霊山城を築城した折り、北畠顕家にしたがって比叡山延暦寺より来た僧兵によって霊山にもたらされたという。

ただし、この言い伝えに歴史的な確証はなく、後述の清原森光によって霊山にもたらされたというのが史実である可能性が高い。(霊山は南北朝期の北畠顕家や落ち武者、隠れ里の逸話が多い地域で、そうした逸話と混同された可能性もある)

近現代

現状

関連項目

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