吉田響
日本の長距離走選手
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経歴
御殿場市立朝日小学校、御殿場市立原里中学校、東海大学付属静岡翔洋高等学校出身。
高校時代はインターハイおよび全国高校駅伝への出場はなかったが、高校1年時の東海高校駅伝では1区を走り、区間賞を獲得した中倉啓敦から12秒遅れるだけの区間3位(29分41秒)の好走があった。しかし高校2年以降は静岡県高校駅伝への出走すらなかった。
大学時代
大学1年次
東海大学に入学して以降ほとんど試合に出場していなかったが、第98回箱根駅伝では山登りの5区を任される。1年生ながら区間2位の走りでチームの順位を一気に17位から10位に押し上げた[1]。
大学2年次
6月に開催された全日本大学駅伝対校選手権大会関東学生陸上競技連盟推薦校選考会では1組に出場し、組トップの28分59秒50で走り選考会突破に貢献した[2]。10月に行われた第99回箱根駅伝予選会ではチームトップの個人26位で9位通過に貢献したが、本戦ではエントリーから外れた[3]。
大学3年次
4月に東海大学から創価大学に編入した[4]。10月の出雲駅伝では5区を走り、区間記録に迫る17分45秒で走った。これは全選手の中で最も速いタイムだったが、チームの他選手の規則違反により吉田も失格になり記録も参考記録となった。11月の全日本大学駅伝では5区を走り従来の区間記録を29秒更新する35分18秒を記録した[5]。第100回箱根駅伝では2年ぶりに5区を担当。雨が降っていたためニット帽を被って走ったが、帽子が水を吸い込んだことで体が冷えて低体温症に陥り、区間9位と実力を発揮出来なかった[6]。
大学4年次
10月4日に開催された第56回出雲駅伝では2区に出走。10位で襷を受けると9人抜きの快走でチームをトップに押し上げた[7]。また、チームもエースの留学生を欠きながら過去最高の4位に入った。第101回箱根駅伝では、2区を走りそれまでの区間記録を更新する区間2位で走り切った。
大学3大駅伝では出走回数が7回しかなかったが、合計で36人を抜いた。抜かれたのは4年次の56回全日本大学駅伝で鶴川正也に抜かれたのみであった。なお、順位を落としたことは一度もなかった。
大学卒業後
大学卒業後は、2025年4月1日付でサンベルクスとのスポンサー契約を結び、プロに転向、同社陸上競技部に入部した[8]。
2026年2月22日の大阪マラソンは初マラソンとなった。序盤からハイペースでレースを動かし、8キロ手前からペースメーカーを置き去りにして独走。日本記録を上回るペースで飛ばしたが、30キロを過ぎてから急失速。37キロ過ぎからは先頭を譲ると、次々と後続にも抜かれ、2時間09分35分で34位に終わった。レース後は脱水症状などもあり、一時的に会話ができない状態にまでなったがレース後に「もっとマラソンの事が好きになった」と自らのXを更新し、再挑戦を誓った。
戦績・記録
大学三大駅伝戦績
実業団駅伝戦績
マラソン全成績
| 開催年月日 | 大会 | 順位 | 記録 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 2026年2月22日 | 第14回大阪マラソン | 34位 | 2時間09分35秒 | 初マラソン。35kmの日本最高記録を更新(1時間43分21秒) |
自己ベスト
- 5000m - 13分39秒94(2024年7月17日:ホクレン・ディスタンスチャレンジ深川大会)
- 10000m - 28分12秒01(2024年5月9日:第103回関東学生陸上競技対校選手権大会)
- ハーフマラソン - 1時間01分45秒(2024年6月30日:函館マラソン)
- マラソン - 2時間09分35秒(2026年2月22日:大阪マラソン)