多良間村
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| たらまそん 多良間村 | |||||
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| 国 |
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| 地方 | 九州地方 | ||||
| 都道府県 | 沖縄県 | ||||
| 郡 | 宮古郡 | ||||
| 市町村コード | 47375-8 | ||||
| 法人番号 | 4000020473758 | ||||
| 面積 |
22.00km2 | ||||
| 総人口 |
991人 [編集] (推計人口、2025年12月1日) | ||||
| 人口密度 | 45人/km2 | ||||
| 隣接自治体 | なし | ||||
| 村の木 | フクギ | ||||
| 村の花 | タラマバナ(ベニバナ) | ||||
| 村の鳥 村の魚 |
ウズラ ミーバイ(ハタ) | ||||
| 多良間村役場 | |||||
| 村長 | 伊良皆光夫 | ||||
| 所在地 |
〒906-0692 沖縄県宮古郡多良間村字仲筋99-2 北緯24度40分10秒 東経124度42分06秒 / 北緯24.66933度 東経124.70158度座標: 北緯24度40分10秒 東経124度42分06秒 / 北緯24.66933度 東経124.70158度 | ||||
| 外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
| ウィキプロジェクト | |||||

ISSから撮影

多良間村(たらまそん)は、沖縄県の先島諸島東部の宮古列島に位置する多良間島及び水納島の2島からなる村[1]。これらの島は宮古島と石垣島のほぼ中間に位置しており隆起サンゴ礁により形成された島である[2]。宮古郡に属する唯一の町村である。
「日本で最も美しい村」連合に加盟している。同連合で認定された登録地域資源は、「多良間の豊年祭」、および「生活に根ざした風水村落」である[3]。
字
北緯24度39分、東経124度42分に位置しており、多良間島(面積19.75 km2)と、その北西約10kmにある水納島(面積2.15 km2)からなる[2]。村の最高点は多良間島北部にある八重山遠見台(34.19m)である[2]。気候は海洋亜熱帯性気候に属する[2]。
多良間島
- 塩川(しおかわ)
- 仲筋(なかすじ)
水納島
- 水納(みんな)
人口
高齢化率30.3%と高く、若年層の流出が激しい[4]。
| 多良間村と全国の年齢別人口分布(2005年) | 多良間村の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 多良間村
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
多良間村(に相当する地域)の人口の推移
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| 総務省統計局 国勢調査より | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
歴史
- 15世紀末 - 土原豊見親が多良間島を統一[5]。
- 1500年(尚真王24年) - 首里王府の応援を受けた宮古島の仲宗根豊見親が、八重山のオヤケアカハチを討伐。土原豊見親春源は王府・仲宗根の軍に加わり[6]、その功により多良間島主に任じられる[7]。
- その後、土原豊見親春源の子孫による統治が17世紀初めまで続く[7]。
- 1637年(尚豊王17年) - 八重山地方で人頭税制度始まる[8]。
- 1628年(寛永5年) - 宮古に平良、下地、砂川の間切が置かれる。多良間島はどの間切にも属さない特別行政区とされた[7]。
- 1637年(寛永14年) - 先島地方に人頭税導入[7]。
- 1771年(明和8年) - 明和の大津波。多良間島は3,324人の住民のうち362人の死者を出した。
- 1855年(安政2年) - アコーメー事件が起きる。役人の横暴を王府に訴えたもの[7]。
- 1859年(安政6年) - 岩手県宮古市の難破船が流れ着き、これを保護した[7]。
- 1879年(明治12年) - 琉球藩を廃止し沖縄県を置く。宮古島庁が設置され、宮古島庁の下に仲筋村、塩川村、水納村が置かれる。
- 1903年(明治36年) - 人頭税廃止[8]。
- 1908年(明治41年) - 島嶼町村制の施行に伴い、現在の多良間村域を含む区域に宮古郡平良村が置かれる。
- 1913年(大正2年) - 平良村から多良間が分村し、多良間村となる[7]。
- 1931年(昭和6年)8月 - 台風のため校舎2棟が全半壊。
- 1932年(昭和7年) - 多良間郵便局が営業を開始する[7]。
- 1964年(昭和39年)
- 1965年(昭和40年) - 宮多製糖が糖業振興法に基づき製糖業の許可を受けて増設を行い、公称能力が120t/日になる[9]。
- 1967年(昭和42年) - 南西航空の運航が始まる。
- 1971年(昭和46年)9月 - 合併により、宮多製糖株式会社が宮古製糖株式会社多良間工場となる[9]。
- 1972年(昭和47年) - 沖縄航空の6人乗りエアタクシーの運航が始まる[7]。
- 1973年(昭和48年)
- 1974年(昭和49年) - 多良間空港開港式挙行[7]。南西航空の19人乗りが運航を開始する。
- 1976年(昭和51年) - 宮古製糖多良間工場が新築移転し、公称能力が250t/日になる[9]。
- 2003年(平成15年)10月 - 新多良間空港供用開始[7]。
- 2004年(平成16年) - 前泊港旅客待合所(シードリームたらま)供用開始[7]。
- 2010年(平成22年)
- 3月 - 村議会で県内初となる「ヤシガニ(マクガン)保護条例」を可決[11]。
- 9月27日 - 日本で最も美しい村連合の総会で多良間村の加盟が承認される。
行政
姉妹市村
経済
教育
文化
交通




航空
- 多良間空港
- 琉球エアーコミューター(1日2往復)
船舶
- 多良間港
- 航路
バス
道路運送法第78条に基づく自家用自動車有償旅客運送の村営路線バスがある[26]。多良間港に発着するフェリー及び多良間空港に発着する飛行機の時刻に合わせ、多良間港(普天間地区・前泊地区)・多良間空港と村中心部の間に運行される。
道路
国道・主要地方道はなし。かつては沖縄県道233号塩川仲筋線があったが、県道としては廃止された。
- 沖縄県道205号多良間多良間港線(一般県道)
放送
ラジオ
- RBCiラジオ(RBCi)とラジオ沖縄(ROK)の民放AM2局、NHK沖縄FM放送と、コミュニティ放送のエフエムみやこが、それぞれ中継局を島内に置いている(民放AMは混信対策のためFMでの放送、NHKFMは石垣島北東部も放送エリア)。FM沖縄およびNHKのAM放送は多良間島内に中継局がなく、それぞれ宮古島市内の中継局からの電波を受信する。
- ラジオ中継局周波数一覧
| 所在地 | RBCi | ROK | NHKFM | FMみやこ |
|---|---|---|---|---|
| 多良間 | 82.2 | 83.6 | 86.2 | 76.5 |
- 周波数単位はMHz、出力は民放AM3W、NHKFM30W、FMみやこ10W
テレビジョン
- テレビ中継局周波数一覧
| 所在地 (ID) | 総合 (1) | 教育 (2) | RBC (3) | OTV (8) | QAB (5) |
|---|---|---|---|---|---|
| 多良間 | 22 | 18 | 43 | 45 | 47 |
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
名所・旧跡
- 2007年(平成19年)4月、多良間村の宮古遠見、八重山遠見、水納遠見を含む宮古島・八重山諸島の10の遠見番所(火番盛)が、国の史跡に指定された。
- 八重山遠見台
- 仲筋集落の北西、標高約30mの丘の上にある。底面の周囲約22.7m、高さ約2.5mに石が積み上げられ、頂上は円形で、昇降路は螺旋階段になっている。島で最も高い場所にあり、景勝の地でもある[5]。近くには、鉄筋コンクリート製の展望台が造られている。
- 宮古遠見台
- 泊御嶽から南方150mほどの道路沿い、南に向かって右側の小高い丘にある。底面の周囲約28.0m、高さ約3.7mに石が積み上げられ、頂上は直径約2mの円形で、昇降路は螺旋階段である[5]。周囲には木が生い茂っている。
- 水納遠見
- 湧水
- 昔は、飲み水を得ることが大切な仕事だった。多良間に水道設備ができたのは昭和の初めで、それまでは、自然洞穴の内にある泉が生活のための水源地になっていた。洞穴の入口から泉まで下っていく。奥に行くにしたがって暗くなるので、足で探って水を汲んだという。



