嫦娥
中国神話中の女神
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神話伝説
殷代の甲骨文字には、「娥」という女神が記されており、これが嫦娥もしくは娥皇のことであると考えられる[3]。
戦国時代の『楚辞』天問篇では、嫦娥は白い虹霓を服とし、龍蛇形の雲気を飾りとしたとされる[4]。
嫦娥、霊薬を得る
王家台秦簡より出土した、戦国時代の『易経』の版本・『帰蔵』の卦辞に「昔、恒我が不死の薬を盗む」との記述があり、これが最古の記録である[5]。恒我(こうが)の名は、「姮娥」の仮借文字としての前身にあたる。
同時代の『楚辞』では、「羿は良薬を得たが、なぜ室内に収蔵できなかったのか」との問いが提出された[4]。また、『文選』に収録された『帰蔵』の引用には、「嫦娥が西王母の不死の薬を服用した」と記され、物語の要素を補完している[6]。
月の仙女、羿と別れる
前漢時代の『淮南子』覧冥訓によれば、羿が西王母からもらい受けた不死の薬を盗んで飲み、月(月宮殿)に逃げ、月の精霊・蟾蜍(ヒキガエル)[7]になったと伝えられる(嫦娥奔月)[8]。
なお、後漢時代の学者・高誘は『淮南子』の注釈において、初めて嫦娥を羿の妻と説明した。これにより、二人の夫婦関係が確立された。高誘はさらに「奔月」を「坌肉」と解釈している。これは嫦娥が仙人の不死性を得て、薬で死んだ動物の肉体を再生させる能力を示すとした[9]。羿は妻と離別した後、「悵然たる喪失感に襲われ、続けることを望まなかった」。学者はこれを「仙薬を求めなくなった」あるいは「再び妻を娶らなくなった」と解釈している。
晋代の干宝の『捜神記』は、張衡の『霊憲』の記述を継承し、嫦娥が月へ向かう前に占い師・有黄に易占を依頼したと補う。「吉」との答えと、「翩翩として帰る夫人、独り将に西に行かん。晦暗なる天空に逢う時、驚く必要も恐れる必要もなし。後には大いに昌運あらん」との評を得て、嫦娥は決意を固め、月に身を託した[10]。
月宮殿の住民
金蟾(きんせん)- 嫦娥と同一視される蛙神。月の蟾蜍は月輪を食い蝕む伝説があり、「月蝕」の起因とされる[11]。六朝時代以降、嫦娥は文人によって評価が高まり、その姿は蟾蜍とは分離され、独立した月の仙女として美化されるようになった[12]。明清期には、月の蟾蜍と蝦蟇仙人という劉海蟾の三本足の蟾蜍が融合し、「三足金蟾」となり、太陽の三足烏・金烏と対応するようになった[13]。
玉兎(ぎょくと)- 通称は月の兎。中国では『楚辞』の戦国時代から登場し、漢代には西王母の神使として杵と臼で不老不死の薬を搗く役割を担った[14]。画像石では、蟾蜍と共に「蝦蟇丸」という薬を調製する姿が描かれる[15]。文学作品では、嫦娥の従者として描かれることが多い。
呉剛(ごこう)- 通称は桂男。仙術の修行中に過ちを犯し、月に遣わされ、再生を繰り返す桂木もしくは娑羅樹を伐り続ける罰を受けた。折に触れ、月宮殿(広寒宮)を築く伐採人として嫦娥の助力を担う[16]。
民間伝承
元代の叢書『説郛』には、「満月の晩(元宵節)に月に団子を捧げて嫦娥の名を三度呼んだ。そうすると嫦娥が戻ってきて再び夫婦として暮らすようになった」という民話が収録されている[17]。なお、別の話では、羿が離れ離れになった嫦娥をより近くで見るために月に向かって供え物をしたのが、月見の由来だとも伝えている。
中国の民俗宗教では、嫦娥を月神とみなし、中秋節に祀っている。道教の月神である太陰星君・結璘(けつりん)とは別人である[18]。
海南島などでは、8月15日(中秋節)の晩に少女たちが水をはった器の中に針を入れて嫦娥(月娘)に自分の運命の吉凶を示してもらう、という習俗があった。針がすっかり沈んでしまって少しも浮かばないと運命は凶であるという[19]。
常羲と十二月神
『山海経』では、天帝・帝夋には二人の妻がいた。十の太陽を生んだ羲和と、十二の月を生んだ常羲(じょうぎ)である。この常羲は『呂氏春秋』では尚儀(しょうぎ)とも記される。清代の学者・畢沅は、常羲・尚儀が嫦娥の原型であり、上古漢語の音韻変化により後世に異なる名が誕生したと注釈している。中華民国時代の神話学者・袁珂は、帝夋と常羲の婚姻と、帝夋の従神である羿と嫦娥の婚姻は同一神話の分化であり、嫦娥は元々天上の女神であったが、羿の罪業によって共に人間界へ追放されたという推論を付した[2]。
常羲は「女和月母」(じょわげつぼ)という国と関わりがあり、十二の月(自分の子供たち)を沐浴させる役目を担った[20]。中秋節の習俗では、女性が水盆に映る月の影を洗う姿勢を取り、月神に懐妊と出産を祈願する。この、穢れを清め不祥を祓う意味を持つ「浣月」の儀式は、常羲の「浴月」行為の模倣と考えられている[21]。
太陽の母神と御神を兼任する羲和とは異なり、常羲の神性は月の母神に限られる。月に車を馭する御者は、『楚辞』に登場する望舒(ぼうじょ)という女神である。また、晋代の学者・郭璞の注釈によれば、羲和は天地開闢の時に日月の運行を司る神であった[22]。故に常羲は、原初の女神である羲和から分かれた神格とも考えられている。
十二月神
中国湖南省長沙で出土した楚帛書『四時令』には、十二月神の神名と神像が描かれており、中国最古の語釈辞典『爾雅』釈天篇に記される月名と対応している[23]。
文学作品での嫦娥
「嫦娥奔月」の動機は、簡潔な原典故に後世で多様に解釈された。伝統的な悪女像のほか、高尚な動機から服薬したとする文学的描写も存在する[24]。
西遊記
本作の嫦娥は、月の仙女の一人であり、道教の月神・太陰星君の従神である。天河の神・天蓬元帥は、嫦娥に戯れたことを理由に玉帝から下界への貶謫を命じられ、猪八戒として転生した[25]。
開闢演義
本作では、嫦娥は夫の羿が堯の命令で魔を除いている間、西王母と親しく交わった。西王母は東王公と会う際、作った仙薬を嫦娥に預けた。八月十五日の満月の夜、嫦娥が薬を取り出してもてあそんでいると、羿のそそのかしで服用してしまった。その結果、嫦娥は月の仙女となり、羿は逆に月の蟾蜍へと変わった[26]。
夏商野史
本作の嫦娥は、夏王朝の后羿の妃である。夏の暗君・太康に占有されそうになったため、彼女はやむなく羿の馬車を盗み出奔した。羿の不死の薬を服用した後、空中飛行の能力を得て、西王母の導きにより日月の山に至り、月宮の神・玉兎の主となった[27]。
七十二朝人物演義
本作の嫦娥は、河伯の妻であり、洛嬪と同一視される。彼女は少年英雄である羿に憧れて出奔し、自分が河伯に攫われた少女であると訴えて、羿が河伯を倒すのを助けた。しかし、羿が西王母から仙薬を得た後、薬は既に自分が服用したと嘘をついた。嫦娥は彼が太陽を射落としている隙に薬を見つけて服用し、月へ飛び、呉剛の助力で月宮殿を築いた[28]。
歷代神仙通鑑
本作の嫦娥は、河伯の妹であり、純狐と同一視される。堯の時代の羿が西王母から授かった白い霊丹に、嫦娥は白光に惹かれてこれを盗み服用した。羿は嫦娥が急速に飛び去り、その姿が蟾蜍ほどの大きさに縮むのを目撃した。彼女が吐いた霊丹の雲母の外殻は月の兎と化し、吐き出した狂風は羿を東方の最果へ吹き飛ばし、東華帝君と会わせた。帝君は、嫦娥が月宮に入ったのは天命であり、羿も太陽に功があるため日府に入る運命にあると説いた。かくして羿は金烏に騎乗し、道教の太陽神・郁儀となった。一方、嫦娥は氷と桂の木で広寒宮を築き、太陰の主となった[29]。
長生殿
本作の嫦娥は、月宮殿の太陰の主である。霓裳羽衣曲を授ける者であり、織女と共に、尸解仙となった楊貴妃と玄宗皇帝の再会を助ける善神でもある[30]。
女仙外史
本作の嫦娥は、堯の時代から夏王朝にかけての后羿の妻で、不死の薬を盗み月宮の主となる。蟠桃会で、西王母と観音菩薩が彼女と后羿の情縁が未だ切れていないと明かす。散会后、凶星・天狼星が嫦娥を奪い、自ら人間界の皇帝となる天命があると称し皇后に強娶ろうとする。嫦娥は織女の宮殿に逃れて玉帝に訴え、下界へ転生を命じられる。明代の女傑・唐賽児に転生し、物語の正義のヒロインとして、天狼星が転生した簒奪者・朱棣に対抗する[31]。また、后羿は唐賽児の夫に転生した[32]。
鏡花縁
本作の嫦娥は、花神・百花仙子を嫉妬する悪役の女神である。蟠桃会で、花神が嫦娥の「全ての花を一斉に咲かせよ」という提案を拒み、彼女の仙薬窃盗の過去に触れたため、嫦娥は恨みを抱き、天魔をそそのかして則天武后へと転生させた。武后は花神が不在の期間に全ての花の咲き競いを強制させ、花神を罪に陥れた[33]。
八仙全伝
本作の嫦娥は、西王母の侍女であり、罪により人間界に追放され、羿に嫁いだ。羿は元々堯の時代の英雄であったが、夏の時代まで生きて暴君となった。暴君に永遠の命を得させまいと、嫦娥は羿の仙薬を盗んで服用し、月へと奔った。怒った羿は月に向けて神箭を放った。嫦娥は墜ちたが、道教の月神・太陰星君に救われる。その不浄の体は太陰星君によって焚かれ、高潔な魂は月宮の仙子の一人へと昇華した。後日、羿は飛行術を習得し、月宮殿に赴いて嫦娥を強引に連れ戻そうとする。月の仙人・呉剛の仙術によって、羿は封印し鎮められた。天帝の命により、羿の体は夏国へ戻り、僭主として臣下に倒される。その魂は五千年の間、呉剛に代わって再生を繰り返す木を伐り続ける罰に就いた[34]。












