柴山和彦
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ザ・ベンチャーズの影響を受け、ギターを始める[1]。最初のうちは兄・好正が使っていたクラシック・ギターを触っていた[1]。中学時代から同級生とバンドを組み、どぶ板通りにあるバーで演奏していた[1]。横須賀基地周辺で音楽活動をしていたため、日本人相手に演奏することは少なく、アメリカ人相手の演奏が多かった[1]。
その後自身のバンド、ジュリエットを結成[2]。東京でロック・フェスティバルに出演することが増え、1974年にはワンステップフェスティバルにも出演した[1]。その他の活動では、ガロのバックバンドを務めた[1]。1976年にアルバム「Yokosuka Bay」を発売する。
1978年、泉谷しげるのアルバム「’80のバラッド」をきっかけに泉谷のバックバンドである、BANANAに参加する[1]。ベースは吉田建だった。
1980年、沢田研二のバックバンド、オールウェイズに参加する。この年から柴山は40年以上、沢田のバックギターを務めることとなる。1981年、オールウェイズはメンバー変更を経てエキゾティクスとなり、1984年9月の解散まで活動する。エキゾティクスでは沢田がプロデュースしたオリジナル・アルバム「Library」を1983年10月に発売。柴山は「INNOCENT -STEP ON SHADOW-」「YOU CAN TELL ME HOW」「TONIGHT -BREAK MY HEART-」の3曲で作曲とボーカルを務めた。
1988年に再び沢田のバックバンドKrís Krínglに参加、翌1989年から引き続き沢田のバックバンドJAZZ MASTERに参加した。以降一貫して沢田のバックギタリストを2024年まで務めた。
1990年、久宝留理子の1stアルバム「プラスチック・マン・ライフ」を、1991年には2ndアルバム「COOL」の音楽プロデューサーを務めた[3]。
2008年、沢田の還暦記念で京セラドーム大阪と東京ドームで開催された人間60年・ジュリー祭りに参加。6時間半で82曲を演奏し[4]、沢田が鉄人バンドと命名した。2018年からは沢田のコンサートのバック演奏を柴山のギターのみの体制に変更。2020年の沢田のシングル「Help! Help! Help! Help!」では沢田と共にダブルクレジットで名前が載っている。2人だけのステージ体制は2021年まで続いた。2022年から再び沢田のバックバンドとして七福神 が編成され、2024年までコンサートツアーに帯同した。2024年11月7日の公演をもって七福神が解散、約40年務めた沢田のバックを離れた[5]。
その他、和田アキ子、松田聖子、中森明菜、山下久美子、小林克也&ナンバーワンバンドなど、多数のアーティストのライブ、レコーディングに参加している。