梨峙の戦い

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梨峙の戦い
戦争文禄の役
年月日:文禄元年7月8日(西暦1592年8月14日)
場所朝鮮国全羅道錦山(梨峙付近)
結果:朝鮮軍の勝利
交戦勢力
豊臣政権 朝鮮国
義兵
指導者・指揮官
小早川隆景 権慄
黃進
戦力
約15,000人 約1,500人
損害
不明 不明


梨峙の戦い(いちのたたかい)は、1592年8月14日、朝鮮全羅道において文禄・慶長の役の最中に発生した戦いである[1]

朝鮮側の権慄および黄進率いる約1,000の軍勢が、小早川隆景が率いる約15,000の日本軍と交戦した[2]

この戦いで朝鮮軍は勝利し、日本軍の全羅道への進軍を阻止した。

豊臣秀吉は、小早川隆景に全羅道への侵攻を命じた。全羅道は米の産地として知られており、日本軍は軍隊の兵站維持のためその確保を必要としていた。また、朝鮮水軍の司令官である李舜臣の水軍は全羅道に拠点を置いており、ここを制圧することで、これまで約2か月にわたり日本の補給線を妨害してきた李舜臣の拠点である麗水への陸路を確保する狙いもあった。そのため、当時漢城(ソウル)にいた小早川隆景は全羅道攻略のため進軍を開始した[3]

戦闘の経過

戦後

脚注

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