清州の戦い
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趙憲と僧侶永圭は約2,600の兵力を集め、中央朝鮮の行政中心地であり政府の大規模な穀倉を有する清州への攻撃を計画した。清州は5月5日に一度日本軍によって占領されており、蜂須賀家政の支配下にあった[1]。
戦闘経過
8月10日に趙憲の義兵は清州城の西門と南門を攻撃した。これに対し、日本軍第5番隊の蜂須賀家政麾下の兵力は城門を開いて出撃し、火縄銃で義兵を追撃したが、逆に包囲攻撃を受けて城内へ退却した。この勢いに乗じて義兵と僧兵は梯子を用いて攻城戦を展開したが、激しい豪雨により攻勢は停滞し、一旦西側の小高い山へ後退した[2]。
翌日の早朝、朝鮮軍は清州城に対して再攻撃を敢行したが、日本軍は焚き火を残して兵力が残っているように偽装した上で既に撤退していた[2]。さらに城内の倉庫には穀物が残されていたが、防御使李沃は日本軍が再占領する可能性があるとしてこれを焼却した。このため義兵らは食料の確保を自力で行わざるを得なかった[3]。
