榎本達也

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愛称 エノ[1]
カタカナ エノモト タツヤ
ラテン文字 ENOMOTO Tatsuya
国籍 日本の旗 日本
榎本達也
名前
愛称 エノ[1]
カタカナ エノモト タツヤ
ラテン文字 ENOMOTO Tatsuya
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1979-03-16) 1979年3月16日(46歳)
出身地 東京都練馬区[2]
身長 190cm
体重 82kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足[3][4]
ユース
1985-1990 日本の旗 蕨市北町サッカースポーツ少年団[5][4]
1991-1993 日本の旗 蕨市立第二中学校[5][4]
1994-1996 日本の旗 浦和学院高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1997-2006 日本の旗 横浜F・マリノス[注 1] 112 (0)
2007-2010 日本の旗 ヴィッセル神戸 107 (0)
2011-2012 日本の旗 徳島ヴォルティス 14 (0)
2013-2014 日本の旗 栃木SC 46 (0)
2015-2016 日本の旗 FC東京 4 (0)
2016 日本の旗 FC東京U-23 7 (0)
通算 290 (0)
代表歴
1998-1999  日本 U-19/20 0 (0)
1998  日本 U-21
1. 国内リーグ戦に限る。2016年11月20日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

榎本 達也(えのもと たつや、1979年3月16日 - )は、東京都練馬区生まれ[2]埼玉県蕨市育ち[6]の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはゴールキーパー(GK)

選手時代

兄の影響で[7] 小学校1年生(6歳)時にサッカーを始める[5][4]。1996年に埼玉県選抜として国体に出場し、大型GKとして注目を集めた[5]

浦和学院高等学校卒業後の1997年横浜マリノスに入団。1998年、U-19日本代表において櫛野亮曽ヶ端準との定位置争いを制しAFCユース選手権で準優勝。翌年開催のワールドユース出場権を勝ち取ったが、U-20日本代表正GKには南雄太が据えられたため、出場機会を得られずに終わった。

2000年8月5日、J1・2nd第8節鹿島戦で負傷した正GK川口能活に代わって[8] リーグ戦初出場。その後川口の復帰により控えに戻るも、2001年10月には川口が退団したため[6]クラブでの定位置を得た。直後にあったナビスコカップ決勝戦では退場者を出す苦しい展開の中、磐田の攻撃を零封[1]PK戦でも相手PKを3本止める活躍を見せ[6]、大会MVPに輝いた[1]。2004年に行われた浦和とのチャンピオンシップでは、PK戦で相手PKを2本止め[9] J1連覇に貢献[10]2005年以降は榎本哲也とのポジション争いで出場機会を減らした。

2007年ヴィッセル神戸へ完全移籍[11][12]2008年からは副主将を務めた。正GKとして活躍を続けていたが、2010年4月の浦和戦で中心性頸髄損傷によって離脱[13]。夏場にかけて復帰するも、J1第20節山形戦及び同22節京都戦で退場処分を受けるなど[14] 振るわず[注 2]、監督交代を境に第23節以降は徳重健太にポジションを奪われた。同シーズンを以て、神戸との契約を満了。

2011年徳島ヴォルティスへ完全移籍[17][18]。副主将を任されるも[19]、同年2月の練習中に左アキレス腱断裂[20]。同年10月のJ2第31節京都戦で復帰し、果敢なプレーを見せたが[21]オ・スンフンから正GKの座を奪取するには至らず、通年4試合の出場に留まった。2012年は背番号を1に改め、オに代わって開幕から正GKを務めたが、チームの状態が上向かず中盤戦にはベンチに降格。終盤戦にはベンチ外となり、同年限りで退団。

2013年栃木SCへ完全移籍[22][23]。神戸在籍時の指揮官であり、サッカー観が似通っていて「肌に合う」という[10]松田浩監督によって正GKに据えられた。松田が退任し、阪倉裕二が監督に就任した2014年は鈴木智幸が正GKに据えられたため控えとなったが、出場間隔が開く中でも安定感を失わずにプレー[24]。しかし、高年俸と年齢がネックとなり[24] 契約満了を迎えた[25]。12月3日、トライアウトに最年長選手として参加した[26]

2015年、FC東京へ完全移籍[27][2]。第2GKとしてベンチ入りを続け、8月以降は離脱した正GK権田修一に代わって[28] 5年ぶりのJ1リーグ戦出場を果たした[29]。的確な判断とポジショニングで[30] 好守を続けていたが[31]ナビスコカップ準々決勝鹿島戦では自身のミスから大敗を招き[32] 以後は新加入のブラダ・アブラモフにポジションを明け渡した。2016年はベンチ外になる試合も多かったが、たとえ控えでも自分がチームを支えているという自負をもって先発選手を送り出す姿勢は他の選手に大きな影響を与えた[33]。同年末、契約満了により退団[34]

指導者時代

2016年限りで現役を引退し、2017年よりFC東京普及部コーチに就任[35]。2017年4月11日にはブラインドサッカー強化選手にも選ばれた。

2026年より、東京ヴェルディのGKコーチに就任。

エピソード

  • 横浜F・マリノス所属時のチームメイトで同じGKの榎本哲也は名前が似ているだけで血縁は無い。ただ、当時より二人を兄弟であると勘違いしていたファンは多く、ヴィッセル神戸移籍加入時にもファンから兄弟対決について質問を受けた。その際に榎本はファンの発言を否定はせずに、発言の中で哲也のことを「哲也君」と呼ぶことで兄弟ではないことを暗示した。

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1997横浜M32J00000000
19981600400040
1999横浜FMJ100000000
200030200050
200150301090
200213006020380
20031504020210
20043004000340
20051102010140
20061805000230
2007神戸3101000320
20082506000310
20093402000360
20101701000180
2011徳島23J240-1050
20121100-00100
2013栃木37360-10370
2014100-00100
2015FC東京13J140302090
201600000000
F東23J370--70
通算日本J1 2230430802740
日本J2 600-20620
日本J3 70--70
総通算 29004301003430
出場歴
その他の公式戦
国際大会個人成績
年度クラブ背番号出場得点
AFCACL
2004横浜FM150
200520
2016FC東京1300
通算AFC 70
その他の国際公式戦

タイトル

クラブ

横浜F・マリノス

個人

  • ナビスコカップMVP (2001年)

代表歴

指導歴

脚注

関連項目

外部リンク

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