水原理枝子
From Wikipedia, the free encyclopedia
鳥取県鳥取市出身。中学1年よりバレーボールを始め、鳥取家政高校を経て1975年、日本リーグのユニチカ貝塚(当時)に入部。
1977年、全日本入りを果たし1977年のワールドカップでは金メダルを獲得した。
1980年、モスクワオリンピック出場メンバーに選出されたが、西側諸国のボイコットによりオリンピック出場は幻となった。翌年のワールドカップでは主力選手として銀メダル獲得に大きく貢献した。
一方で、日本リーグでは敢闘賞1回、ベスト6賞3回などを獲得し日本リーグ通算記録のアタック部門でベスト10入りしている。ユニチカ監督の吉田国昭は、「サウスポーアタッカーとして大選手の域に到達した、攻守のかなめとなる貴重な存在」と評している[2]。
1984年1月15日に、江上由美に破られるまで104試合出場の日本リーグ記録を保持していた[3]。
2018年3月6日、東京都内の病院で死去[4]。61歳没。
人物・エピソード
球歴
受賞歴
所属チーム
- 市立高草中
- 鳥取家政高校
- ユニチカ貝塚/ユニチカ(1975-1983年 )