法典流の流祖は慶長年間(戦国末期)の武士である滝澤美濃守法典である。法典は橘氏の子孫と伝えられ、柳生石舟斎とも剣友であったという。法典は仕官を嫌い、木曽山中の御岳神社に籠って滝に打たれたり、書物を読むといった修行を開始した。その後、当時修行僧や修験者に伝わっていた神伝秘術や受瀧法、瀧止め、雨垂れ斬りの秘法、玄羽の法を学び、更に御岳行者に伝わる御岳神陰の古剣を元に練心剣を編み出し、遂に法典流を開いたという。
その後、流派は寺社を中心に広められた。法典流の遣い手たちは遊行僧として各地を巡り、才能のありそうな者に教授していったという。継承者は代々「法典」を名乗っている。