甲山寺
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| 甲山寺 | |
|---|---|
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山門 | |
| 所在地 | 香川県善通寺市弘田町1765番地1 |
| 位置 | 北緯34度13分59.5秒 東経133度45分56.75秒 / 北緯34.233194度 東経133.7657639度座標: 北緯34度13分59.5秒 東経133度45分56.75秒 / 北緯34.233194度 東経133.7657639度 |
| 山号 | 医王山 |
| 院号 | 多宝院 |
| 宗派 | 真言宗善通寺派 |
| 本尊 | 薬師如来 |
| 創建年 | (伝)弘仁12年(821年) |
| 開基 | (伝)空海(弘法大師) |
| 正式名 | 医王山 多宝院 甲山寺 |
| 札所等 | 四国八十八箇所74番 |
| 公式サイト | [香川 医王山 多宝院 甲山寺] |
| 法人番号 | 4470005002800 |
甲山寺(こうやまじ)は、香川県善通寺市にある真言宗善通寺派の寺院。医王山、院号は多宝院と号す。本尊は薬師如来。四国八十八箇所第七十四番札所。甲山(かぶとやま)の麓に位置する。

伝説では、壮年期の空海が寺を建立しようと幼きとき遊んだこのあたりを探索していると老翁が現れ、この地にお寺を建立すべしとお告げをした。この地の岩窟に住む毘沙門天の化身と悟った空海はこの岩窟に毘沙門天を祀った。 その後、嵯峨天皇の勅命を受け別当として満濃池の修築を命じられた空海は、この地で薬師如来を刻み修法すると数万の人々が集まり、無事に築造を完成に導いた。弘仁12年(821年)その功績に対して朝廷から二万銭が与えられ、その一部によって堂を建立したのが当寺の始まりであるという。
天正年間の兵火により本尊とわずかの寺宝が残ったのみで、『四国徧礼霊場記』(1689年刊)には、「むかし大伽藍の所といえども荒涼せり盛衰は世の数ある・・」と記されている状況であったが、享保20年(1730)に本堂、寛保2年(1742)に大師堂が再建され、『四国遍礼名所図会』(1800年刊)の挿絵では現在の形に近い形に復興している。
甲山(標高87.2 m)には、室町時代に天霧城の出城があったと云われていて、山頂に石舞台跡があり、頂上には神武天皇孝明天皇震儀石がある。また、当寺から山頂に向かう山道には江戸時代末期に開かれたという西国三十三所の石仏が並んでいる[1]。
伽藍


- 山門:2008年落慶
- 中門:明和6年(1769)に完成の旧山門を中門として修築。
- 本堂:享保20年(1735)完成。本尊を拝観できる(脱履物)。本尊は薬師如来坐像(肥松の一木造り、彫眼)、脇仏は日光月光菩薩立像、右脇陣に毘沙門天立像、左脇陣に阿弥陀如来坐像。
- 大師堂:寛保2年(1742)完成。黒衣の大師像で、2014年と2020年に開帳された。
- 客殿:書道家の岡本光平氏が襖に描いた般若心経の襖書
- 護摩堂:天明2年(1782)完成。不動明王坐像と二童子。
- 多聞天堂:奥は毘沙門窟で、石を彫った毘沙門天、両脇に吉祥天と禅膩師童子が祀られている。
- 子安地蔵:大師堂に向って右前にいて、前掛けを持ち帰ると子供が生まれたというエピソードから。
- 淡島大明神(祠)
- 鐘楼堂:宝暦2年(1752)完成。
- ウサギが16羽:本尊脇仏の月光菩薩の持物にウサギが描かれていることから、山門や中門の内側および茶堂の屋根と手水舎の前にいる[2]。
山門をくぐり右に手水舎を越え、左に曲がり中門をくぐると右手に納経所、わずかな石段を上がると本堂その右の続に護摩堂、左に数段上がると大師堂があり、鐘楼がその先にあり、その向こうに毘沙門窟入口があり、中に毘沙門天の石像が祀られている。
- 屋根瓦のウサギ
- 境内
- 本堂
- 大師堂
- 客殿(左)と護摩堂
- 多聞天堂
- 中門(旧山門)
- 庭園
- 淡島大明神
- 水神社

