聖アガタの殉教 (ティエポロ)
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| ドイツ語: Das Martyrium der Heiligen Agathe 英語: Martyrdom of Saint Agatha | |
| 作者 | ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ |
|---|---|
| 製作年 | 1755年ごろ |
| 種類 | キャンバス上に油彩 |
| 寸法 | 187.8 cm × 135.5 cm (73.9 in × 53.3 in) |
| 所蔵 | 絵画館、ベルリン |
『聖アガタの殉教』(せいアガタのじゅんきょう、独: Das Martyrium der Heiligen Agathe, 英: Martyrdom of Saint Agatha)は、イタリアのロココ期の巨匠ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロが1755年ごろ、キャンバス上に油彩で制作した絵画である。元来、北イタリアのヴェネト州レンディナーラにあるベネディクト会尼僧院[1]サンタガタ教会 (Chiesa di Sant'Agata) の高祭壇として描かれた[1][2][3][4]。作品は1878年にパリで購入され[2]、現在、ベルリン絵画館に所蔵されている[1][2][3][4]。
シチリア島のカターニアの娘アガタは、3世紀前半の人物である[2]。彼女は、永遠の純潔を誓ったことを理由に、シチリアの古代ローマ総督クィンティニアヌス (Quintianus) からの執拗な求婚を拒んだ[5]。その結果、彼女は牢に入れられ、乳房を切り取られてしまう。しかし、夜の間に聖ペテロが現われ、アガタの傷を軟膏で癒したので、乳房は奇跡的に元通りになる[2][5]。彼女はふたたび拷問されるが、牢の建物が崩壊し、2人の処刑人は死んでしまう。その後、カターニアで大地震が起こる。アガタはその地震にも無傷で、感謝をささげた後に死去する (251年)。そして、彼女の死の一周年にエトナ山が噴火した[2]。彼女は、地震の守護聖人である[2]。
作品

ティエポロは大画面の絵画を描いた巨匠で、イタリア国内だけでなく、ヴュルツブルク、マドリードなどイタリア国外でも君主に作品を依頼された[3]。その芸術はヴェネツィア派の偉大な伝統の終わりを飾るとともに、バロック、あるいはヨーロッパ近世のモニュメンタルな芸術の最期の頂点を形作るものとなっている[4]。

本作は、聖アガタの殉教をダイナミックな構図の内に描き出したものである[4]。画面の聖アガタは古い建物の階段上で倒れ、天を見上げている[2]。彼女の背後には牢が見える[3]。女性の召使が切られたアガタの胸を覆うために布を当てる一方、近くの青年が切断されたアガタの乳房を盆に載せて運んでいる[2]。ティエポロは、イタリア・バロック期の画家マッシモ・スタンツィオーネの『聖アガタの殉教』 (カポディモンテ美術館、ナポリ) [6]のように聖アガタが拷問される場面そのものは描いていない。代わりに、聖女の神に対する信仰の強さが決定的なものとして表現されている[2]。青年と女性召使は、優しく心配そうに彼女に接している。彼女の背後には、赤い服を纏い、血塗れの刀を持った処刑人の狂暴な姿が聳えている[2][3]。
左側の大きな柱は、その垂直性により、象徴的にも形式的にもアガタの上向きの視線と呼応している。しかしながら、この柱は、もはや本来の高さを表していない[2]。ティエポロの息子ジョヴァンニ・ドメニコ・ティエポロのエッチング (左右反転している) に示されているように、絵画の上部は本来、半円形であった。元の柱の上部は上部が壊れた状態で表され、おそらく地震による宮殿の破壊を示唆していたと思われる。また、左側の雲の中には、アガタの幻視が描かれていた。その幻視とは、茨の冠に囲まれ、両側に2人の天使の頭部が表されたイエス・キリストの燃え盛る心臓であった[2][3]。なお、この絵画は画面下部も15センチほど切断されている[2]。
色彩的には、アガタの大きな青いマントが彼女と女性召使、青年の3人の群像を括る役割を果たしている。また、この青色は銀白色、明るい黄色、オレンジ色とともにティエポロに特徴的な色彩的調和を生み出している[3]。