最後の晩餐 (ティエポロ)
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| フランス語: La Cène 英語: The Last Supper | |
| 作者 | ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ |
|---|---|
| 製作年 | 1745-1750年ごろ |
| 種類 | キャンバス上に油彩 |
| 寸法 | 81 cm × 90 cm (32 in × 35 in) |
| 所蔵 | ルーヴル美術館、パリ |
『最後の晩餐』(さいごのばんさん、仏: La Cène、英: The Last Supper)は、イタリアのロココ期の巨匠ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロが1745-1750年ごろ、キャンバス上に油彩で制作した絵画である。カトリックのキリスト教図像として最もよく描かれた主題の1つである最後の晩餐を表している。1877年にマイエ・デュ・ブレ (Maillet du Boullay) 氏のコレクションから購入されて以来[1]、パリのルーヴル美術館に所蔵されている[1][2][3]。
最後の晩餐は、「マタイによる福音書」 (26章17-30節)、「マルコによる福音書」(14章12-26節)、「ルカによる福音書」(22章1-23節)、「ヨハネによる福音書」(13章21-30節) に記述されている[4]。過越祭が近づくと、イエス・キリストは食事の席を用意するよう使徒たちに命じ、晩餐をともにする。その席で、キリストは「この席に私を裏切る者がいる」と予告した。彼は騒然となる使徒たちに向かってパンを裂き、祝福の祈りを捧げると「食べなさい。これは私の体です」といった。続いて、ワインの入った杯をとって祈り、「これは私の血、契約の血である」と語った。契約の血とは、人々の罪が赦されるために、彼らに代わりキリストが血を流すという意味である[4]。この「最後の晩餐」は多くの画家たちに好まれた主題であり、その作品そのものも多い[5]。
作品

本作は、ティエポロがヴェネツィアにいた最後の時期に描いたキリストの受難を表した6点の連作に含まれていたのかもしれない。彼はヴェネツィアを出た後、新築された大司教邸を装飾するために、1750年にドイツのヴュルツブルクに向かった[3]。

この絵画は、テーブルが画面の上下辺と平行に続くレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』 (サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会、ミラノ) と構図が類似している。簡素な幕が宮殿風の空間の奥行きを塞ぎ、高い柱が左右に配されている。晩餐はすでに終わっており、厳かな夕食というよりは、騒々しい宴会の後のような雰囲気である。食卓の周りに見られる様々なふるまいのすべては、まるでティエポロがキリストの聖体拝領の奇蹟から注意を逸らすために描いたかのように見える[3]。舞台のような設定や人物の雄弁なポーズには、ティエポロが尊敬していた16世紀ヴェネツィア派の巨匠パオロ・ヴェロネーゼの影響が明らかに見てとれる[2]。
使徒たちの対角線上の姿勢は切迫感や、怪しい雰囲気を感じさせるのに貢献している[3]。誇張された表情や身ぶり、とりわけ手前のイスカリオテのユダがワインの瓶を持って身をのけぞる姿が印象的である。また、明と暗の巧妙な対比と配置が場面の効果を高めている[2]。しかし、鑑賞者の視線は一定方向に誘導されない。視線は、ただ1人まっすぐの姿勢を保っているキリストの方へと戻ることになる[3]。