輪島港
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沿革

国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)(現・地図・空中写真閲覧サービス)の空中写真を基に作成。
中世には、廻船式目において三津七湊の七湊の一つに数えられ[2]、近世からは北前船の寄港地として栄えた。日本海を航行する船舶にとって、能登半島沖は通過が困難な難所であり、能登半島の先端に近い輪島港は寄港地・避難港として適していた。
1917年(大正6年)に築港が発案された[2]。石川県の説明によれば、1922年(大正11年)8月に県費支弁港に編入され、1930年(昭和5年)11月には指定港となった。[1]
1951年(昭和26年)には避難港に指定された[2]。1953年(昭和28年)から防波堤の建設が始まり、1972年(昭和47年)に輪島港整備計画(輪島新港素案)が制定され、1978年(昭和53年)より避難港としての防波堤整備が着工した(この時点では1990年完成目標となっていた)[3]。以後現在に至るまで、防波堤及び泊地の建設が続いている。
2010年(平成22年)5月、輪島港周辺を埋め立てて建設された輪島港マリンタウンが開港(旅客船岸壁供用開始)した[4](完成は2015年〔平成27年〕3月29日[5])。マリンタウンはみなとオアシスの登録をしていて、観光交流施設を代表施設とするみなとオアシス輪島マリンタウンとして観光拠点ともなっている。またマリンタウン内のボートパークはわじま海の駅として海の駅の登録をしている。
石川県の資料では、輪島港マリンタウン地区には旅客船岸壁、マリーナ、交流施設等が配置されており、平常時には観光交流拠点として、災害時には防災拠点としての機能も期待されている。[6]
2024年(令和6年)1月1日の能登半島地震の影響により、海底が隆起したことで、水深が浅くなり、船体が海底につかえ、大きく傾き、いくつもの船が座礁する被害が発生した[7]。国土交通省は、同年2月16日より港を1-2m程度掘り下げる工事に着手した[8]。さらに石川県の復旧・復興プランでは、マリンタウン岸壁での海底隆起、岸壁・背後用地の液状化、漁船だまりでの泊地水深不足、第4・第6防波堤の被災による港内静穏性の低下などが被害として整理されている。[6]
同プランでは、生業の再建と港湾機能の回復を急ぐとともに、将来的な利用も見据えた創造的復興を進める方針が示されている。[6]