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阿部勇樹

日本のサッカー選手 From Wikipedia, the free encyclopedia

阿部 勇樹(あべ ゆうき、1981年9月6日 - )は、千葉県市川市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー、ディフェンダーだが、守備的ポジションであればどこでもプレーできるユーティリティープレイヤー。元日本代表。

愛称 アベちゃん
カタカナ アベ ユウキ
ラテン文字 ABE Yuki
国籍 日本の旗 日本
概要 阿部 勇樹, 名前 ...
阿部 勇樹
レスター・シティFC時代(2011年)
名前
愛称 アベちゃん
カタカナ アベ ユウキ
ラテン文字 ABE Yuki
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1981-09-06) 1981年9月6日(45歳)
出身地 千葉県市川市
身長 178cm
体重 77kg
選手情報
ポジション MF / DF
利き足 右足
ユース
1997-1998 日本の旗 ジェフユナイテッド市原
クラブ1
年 クラブ 出場 (得点)
1998-2006 日本の旗 ジェフユナイテッド千葉 214 (36)
2007-2010 日本の旗 浦和レッズ 120 (14)
2010-2012 イングランドの旗 レスター・シティFC 52 (2)
2012-2021 日本の旗 浦和レッズ 256 (25)
通算 642 (77)
代表歴
2000 日本の旗 日本U-20 2 (2)
2002-2004 日本の旗 日本U-23 13 (3)
2005-2011[1] 日本の旗 日本 53 (3)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj
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2010 FIFAワールドカップ日本代表でアンカーとして活躍した。

来歴

プロ入り前

1981年、2男1女の第3子として出生。兄の影響で幼少の頃からサッカーに親しみ、休日で寝ている父親の枕を蹴り飛ばして起床させ父兄共にボールを蹴り合って遊んでいた。父親の感情豊かな感激屋の影響を受け、(5歳上の)兄からボールが取れないといっては泣き、試合内容が悪かったといっては涙し、勝利に貢献して褒められては目に涙を浮かべている何かと涙もろい子だった。

通っていた幼稚園の縁と父の勧めで柏イーグルス入団。小学4年生時に富美浜FC(現FC LAZO市川)へ加入、小学5年生時、市川FCの選抜、2チームを掛け持ちする。小学校6年生時、ジェフユナイテッド市原のユースセレクションに合格する。

市立船橋高校からの誘いもあったが、本人は大半の時間をジェフ市原ユースでのサッカーに注ごうとすべく通信制の高校に進学を希望するも、両親が反対した上に姉が激怒。高校進学に向けて塾に入れられ、受験勉強を猛スピードで行い、一般入試で東京学館浦安高校普通科に進学。

選手時代

ジェフユナイテッド市原・千葉

Jリーグ初出場は、1998年8月5日、Jリーグ1stステージ第16節のガンバ大阪戦(万博記念競技場)。当時のチームメイトの山口智の記録を破り、16歳と333日というJ1の最年少記録を打ち立てた[2]。1999年には高校3年生ながらJ1で30試合に出場し、4月10日 1stステージ第6節神戸戦(神戸総合運動公園ユニバー記念競技場)でJリーグ初得点を挙げた。

2000年に佐藤勇人・佐藤寿人とともにトップチームに昇格[3]。2003年にイビチャ・オシムが新監督に就任すると、オシムは当時既に国際経験や実力を備えながらも前面に出ようとしていなかった阿部を21歳でキャプテンに抜擢。オシム就任当時、ベテラン選手のプレーに頼り切っている後輩という当時のチーム事情を憂慮、プレーも消極的で性格も大人しいがチーム内では人当たりの良い阿部を先輩後輩の垣根を取り除く役目も(本人には黙って)与える。後にジェフは看板選手を次々と放出、当時は監督の命令でキャプテンを務めるのが嫌で仕方なかったが試合を重ねるごとに阿部はキャプテンとしての頭角を現すことになる。

この起用は周囲に譲りがちだったFKを自ら蹴り、積極的に攻撃に参加するといった成長をもたらす。2005年のJリーグ戦では守備的MFながら12得点(うち1回はハットトリック)を挙げ、常にJ2降格ラインにいたチームを2005年、2006年のナビスコ杯2連覇に導いた立役者の1人になった。後にイビチャ・オシム監督との出会いによって、戦う姿勢が変わったことと、複数のポジションをこなせることを「ポリバレント」と称され、それが自分の強みと自覚できるようになったと語っている。

浦和レッズ

2007年1月12日、ジュニアユース時代から在籍した千葉から浦和レッズへの移籍を発表[4]。国内最高額といわれる移籍金(推定3億5千万円)で1月22日に正式契約を結ぶ[5][6][7]。2010年、浦和との3年契約が満了したため、海外移籍の噂もあったが1月31日、浦和と1年間契約延長をすることで合意[8]。

千葉在籍時の2005年と2006年、浦和在籍時の2007年と3年連続でJリーグベストイレブンに選出。サポーターからの人気も高く、2003年~2007年までJリーグオールスターサッカーに5年連続でサポーター投票で選出され、特に、2004年と2005年は最高得票数を獲得。2008年からJOMO CUPに替わっても、メンバーに選ばれ続けていた。

FIFAクラブワールドカップ2007では、浦和からただ1人、大会のMVP候補8人の1人に選ばれた(受賞はブラジル代表でもあるACミランのカカ)。2010年7月、彩の国功労賞を受賞。また、市川市が市民栄誉賞を授与すると発表した[9]。

レスター・シティ

2010年W杯終了後、オランダ・エールディビジのフェイエノールト、VVVフェンローから高い関心を示されており、阿部の関係者もオランダリーグへの移籍が近づいているとコメントするなどオランダ移籍が有力視されていたが、移籍期限の直前にイングランド2部・フットボールリーグ・チャンピオンシップのレスター・シティFCが3年契約での正式オファーを出し、基本合意。最大の障害だった就労ビザの問題も解決し、2010年8月31日に移籍が正式に決定した[10][11]。レスターシティでの初得点は、2011年5月7日 チャンピオンシップ最終節イプスウィッチ・タウンFC戦(ウォーカーズ・スタジアム)。2012年1月22日、日本に残していた家族を最優先したいとの理由でチームと双方合意の上で契約を解除した。

浦和レッズ復帰

2012年、1月24日に浦和に復帰。ミハイロ・ペトロヴィッチ監督からチームキャプテンに指名された。2012年ではボランチとして全試合出場。退場となったJ1第4節川崎フロンターレ戦を除いてフル出場を果たした。チームも3位となり、ACLの出場権を獲得した。なお、阿部はJリーグ優秀選手賞も受賞した。2013年、J1第33節が11月30日に行われ、J1通算400試合出場を達成した。400試合出場は史上13人目。

2016年、4月16日に行われた1stステージ第7節の仙台戦において、史上12人目(GKを除くと3人目[12])となるリーグ戦100試合連続フル出場を達成した[13]。10月1日、2ndステージ第14節のガンバ大阪戦でJ1通算500試合出場を達成した。奇しくもこの試合はデビュー戦と同一カードとなり、勝利し自身の記録達成に花を添えた。 また遠藤保仁を抜き史上最年少での500試合出場を達成、山田暢久に続く記録達成は同一クラブ二人目では史上初、海外移籍経験者の記録達成も史上初、下部組織出身選手の記録達成も史上初と記録づくめとなった。同試合で後半9分に遠藤からボールを奪取後倒された瞬間背中を右足で蹴られあまりの痛さにピッチ上でのたうち回ったがその後も試合終了までプレーし、次のJリーグカップ準決勝第1戦FC東京戦もフル出場したが試合終了後メディカルチェックを受けると右肋骨を骨折している事が発覚した。決勝ガンバ大阪戦では強行出場し浦和レッズ移籍後初の国内タイトルを手にした。ジュビロ磐田戦で山田暢久の出場記録を抜く通算502試合を達成した。

2017年5月14日、第11節のアルビレックス新潟戦で先発フル出場を果たし、当時J1最多となる「138」試合連続フル出場を果たした。

2018年8月11日、第21節のサガン鳥栖戦で途中出場し、史上4人目かつ史上最年少でのJ1通算550試合出場を果たした。

2021年、2017年以来2度目のチームキャプテンに就任した。開幕戦のFC東京戦でスタメン出場しゴールを決めた。11月14日、2021年シーズンをもってプロサッカー選手を引退することを正式に発表した[14][15]。

日本代表

ジュニアユース時代から各年代別で日本代表に選出されてきた。小野伸二、稲本潤一、高原直泰といった、いわゆる黄金世代が準優勝した1999 FIFAワールドユース選手権では、フィリップ・トルシエ監督の下、一つ下の世代から代表選出されたが、感染病の予防接種の問題で参加できなかった[16][17]。

アテネオリンピックを目指す山本昌邦監督率いる五輪代表チームにも選ばれ、2002年アジア競技大会では青木剛の負傷により主にスイーパーを担当。決勝では青木の復帰に伴い本職のボランチに移るが敗戦し、準優勝に終わる。 ダブルセントラルで行なわれたアテネ五輪アジア予選では負傷明けにより、後半戦の日本ラウンドに万全の状態で合流するために前半戦のUAEラウンドを回避、日本ラウンド初戦で田中マルクス闘莉王が負傷退場すると、それからスイーパーを務める。レバノン戦でFKを直接決めるなど予選突破に貢献。 2004年の本大会にも松井大輔、大久保嘉人、駒野友一、森崎浩司らと共に出場。本職だったボランチから右サイドバックやリベロに起用され、またキャプテンだった那須大亮がベンチになるとゲームキャプテンも務めたが、グループリーグで敗退。

A代表にはジーコ代表監督により2003年、東アジアサッカー選手権で初選出、2005年1月29日のカザフスタンとの親善試合(横浜国際競技場)でA代表初出場を果たした[1]。A代表初ゴールは2006年8月16日のアジアカップ予選、イエメン戦[1]。2006 FIFAワールドカップではメンバーから漏れるが、代表監督がイビチャ・オシムに変わるとAFCアジアカップ2007をはじめ主にセンターバックとして出場。

岡田武史代表監督の下でも代表に選出され、2010年5月10日、2010 FIFAワールドカップで初選出[18]。それまでCBで起用され、巧く機能しないことが多かったが、W杯本戦では終始アンカーとして全試合にスタメン出場。決勝トーナメント1回戦パラグアイ戦で中村憲剛と途中交代するまでフル出場を続けた。堅固な守備陣の一角として日本のグループリーグ突破に貢献し、元日本代表MF中田英寿や、元日本代表SB内田篤人からは日本代表のMVPに挙げられた[19][20]。

指導者時代

引退前

選手時代にJFA公認B級コーチライセンスを取得[21]。現役引退にあたり、選手時代に指導を受けたイビチャ・オシム、ミハイロ・ペトロヴィッチの両氏に負けない指導者になれるように頑張っていきたいと指導者の道へ進むことを明らかにした[14]。

引退後

2022年シーズンより浦和レッズユースのコーチに就任[22]。浦和レッズの新体制が発表された2022年1月12日、ユースチームのコーチに就任する事が発表された。直後に更新された自身のTwitterでも「2022年、阿部は浦和レッズユースのコーチとして指導者の道をスタートします!」とツイートし、指導者として第2のキャリアを始めた事を明らかにした。

また3月には日本サッカー協会(JFA)のロールモデルコーチに就任し、アンダー世代の日本代表チームをはじめ若年層を対象とした強化および普及に携わる。2022年3月16日、日本サッカー協会は阿部とロールモデルコーチとして契約したことを発表した[23]。

2022年11月12日に埼玉スタジアムにて、引退試合を開催。元浦和レッズの選手を中心とした「URAWA ASIAN KINGS」と、元ジェフ千葉と元日本代表の選手を中心としたチーム「JEF・JAPAN FRIENDS」の対戦となり、阿部は両チームに参加した[24]。その1週間後の2022年11月20日に開催された、イビチャ・オシムの追悼試合に「OSIM JEF LEGEND」チームの一員として参加した[25]。

評価

評論家の後藤健生は阿部について、ディフェンダーとして、所属クラブでも日本代表でも起用され結果を残している事を認めつつ、「彼はやはり本来はMF」[26] だという見方を示している。

エピソード

  • 2001年5月、右脛骨疲労骨折による髄内釘固定術を受け、8月復帰。
  • テレビ朝日の『やべっちFC』に出演した際、「YABEっち」の「Y」を取ると「ABEっち」になるとアピール、これから「あべっちと呼んでください」と笑いを誘った。
  • 市原時代から守備能力に加えて精度の高いFKも武器としていたため和製ベッカムと呼ばれたり、「アベッカム」ともじられることもあった。しかし、オシム就任後はセットプレーでの競り合いに強さにも定評があったため受け手側に回り、代わりに水野晃樹が蹴ることが多くなった。浦和移籍後もポンテや柏木陽介、日本代表でも中村俊輔や遠藤保仁等が蹴ることが多かったためにFK、CKを蹴る機会は少なくなっていたが、2016年7月9日の柏レイソル戦で直接フリーキックによるゴールを挙げ、そのゴールを伊メディア「トゥットスポルト」が阿部を「日本のピルロ」として動画付きで紹介した[27]。
  • 秋山翔吾と親交があり、2021年に自身が引退会見を開いた際はサプライズで花束を贈呈された[28]。
  • JリーグNo. 1のPKの名手としても知られており、リーグ戦20本以上蹴った上で成功率は100%となっている[29]。
  • 3人兄姉の末っ子。実姉は八雲学園中学校・高等学校バスケットボール部の現職アシスタントコーチ。2009年に同校がウィンターカップに初出場を果たした際には激励に訪れ、選手一人一人のシューズにサインした[30]。
  • 2004年7月7日入籍。2007年7月19日、第一子となる長男が誕生。
  • 2020年5月、コロナ感染予防の一環としてさいたま市の防災無線で呼びかけを行う。
  • 2021シーズン開幕戦に出場し、J1通算23年プレーとなり歴代最多記録となった[31]。

所属クラブ

個人成績

さらに見る 国内大会個人成績, 年度 ...
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1997市原30J00000000
19983110000010
199929J13012010331
200082503032312
200161732020213
20022413020291
20032733040343
20042455110306
2005千葉3312105104417
2006331182104213
2007浦和223330010343
20083361010356
20093424000382
201020321-224
イングランド リーグ戦 FLカップFAカップ 期間通算
2010-11レスター22FLC3612020401
2011-121612010191
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2012浦和22J13444030414
20133365000386
20143447111426
20153432241406
20163414110392
20173331000343
20182715050371
20191101030160
20203000-30
20211336010203
通算日本J1 59075781335470392
イングランドFLC 5224030592
総通算 64277821338476294
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  • 1998年と1999年はユース所属
その他の公式戦
  • 2007年
  • 2015年
  • 2016年
    • Jリーグチャンピオンシップ 2試合1得点
  • 2017年
    • スーパーカップ 1試合0得点
  • 2019年
    • スーパーカップ 1試合0得点
さらに見る 国際大会個人成績, FIFA ...
国際大会個人成績 FIFA
年度クラブ背番号出場得点出場得点
AFCACLクラブW杯
2007浦和2212330
200840-
201361-
201550-
201660-
201711020
201960-
通算AFC 50450
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その他の国際公式戦

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 53試合 3得点 (2005年 - 2011年)[1]
さらに見る 日本代表, 国際Aマッチ ...
日本代表国際Aマッチ
年出場得点
200550
200681
2007111
200890
200981
201090
201130
通算 533
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出場

さらに見る No., 開催日 ...
No.開催日開催都市スタジアム対戦相手結果監督大会
1.2005年01月29日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 カザフスタン○4-0ジーコキリンチャレンジカップ
2.2005年08月03日大韓民国の旗大田 中華人民共和国△2-2東アジア選手権
3.2005年08月07日大韓民国の旗大邱 韓国○1-0東アジア選手権
4.2005年08月17日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 イラン○2-1ワールドカップ予選
5.2005年11月16日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 アンゴラ○1-0キリンチャレンジカップ
6.2006年02月10日アメリカ合衆国の旗サンフランシスコ アメリカ合衆国●2-3国際親善試合
7.2006年05月09日日本の旗大阪府長居陸上競技場 ブルガリア●1-2キリンカップ
8.2006年08月16日日本の旗新潟県新潟スタジアム イエメン○2-0イビチャ・オシムアジアカップ予選
9.2006年09月03日サウジアラビアの旗ジッダ サウジアラビア●0-1アジアカップ予選
10.2006年09月06日イエメンの旗サヌア イエメン○1-0アジアカップ予選
11.2006年10月04日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 ガーナ●0-1キリンチャレンジカップ
12.2006年10月11日インドの旗バンガロール インド○3-0アジアカップ予選
13.2006年11月15日日本の旗北海道札幌ドーム サウジアラビア○3-1アジアカップ予選
14.2007年03月24日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 ペルー○2-0キリンチャレンジカップ
15.2007年06月01日日本の旗静岡県静岡県小笠山総合運動公園スタジアム モンテネグロ○2-0キリンカップ
16.2007年06月05日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 コロンビア△0-0キリンカップ
17.2007年07月09日ベトナムの旗ハノイ カタール△1-1アジアカップ
18.2007年07月13日ベトナムの旗ハノイ アラブ首長国連邦○3-1アジアカップ
19.2007年07月16日ベトナムの旗ハノイ ベトナム○4-1アジアカップ
20.2007年07月21日ベトナムの旗ハノイ オーストラリア△1-1(PK4-3)アジアカップ
21.2007年07月25日ベトナムの旗ハノイ サウジアラビア●2-3アジアカップ
22.2007年07月28日インドネシアの旗パレンバン 韓国△0-0(PK5-6)アジアカップ
23.2007年08月22日日本の旗大分県大分スポーツ公園総合競技場 カメルーン○2-0キリンチャレンジカップ
24.2007年10月17日日本の旗大阪府長居陸上競技場 エジプト○4-1アジア・アフリカチャレンジカップ
25.2008年01月26日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 チリ△0-0岡田武史キリンチャレンジカップ
26.2008年01月30日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 ボスニア・ヘルツェゴビナ○3-0キリンチャレンジカップ
27.2008年02月06日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 タイ○4-1ワールドカップ予選
28.2008年03月26日バーレーンの旗マナマ バーレーン●0-1ワールドカップ予選
29.2008年05月27日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 パラグアイ△0-0キリンカップ
30.2008年08月20日日本の旗北海道札幌ドーム ウルグアイ●1-3キリンチャレンジカップ
31.2008年09月06日バーレーンの旗マナマ バーレーン○3-2ワールドカップ予選
32.2008年10月15日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 ウズベキスタン△1-1ワールドカップ予選
33.2008年11月13日日本の旗兵庫県御崎公園球技場 シリア○3-1キリンチャレンジカップ
34.2009年05月27日日本の旗大阪府長居陸上競技場 チリ○4-0キリンカップ
35.2009年05月31日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 ベルギー○4-0キリンカップ
36.2009年06月06日ウズベキスタンの旗タシケント ウズベキスタン○1-0ワールドカップ予選
37.2009年06月10日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 カタール△1-1大木武(代行)ワールドカップ予選
38.2009年06月17日オーストラリアの旗メルボルン オーストラリア●1-2岡田武史ワールドカップ予選
39.2009年09月09日オランダの旗ユトレヒト ガーナ○4-3国際親善試合
40.2009年10月10日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 スコットランド○2-0キリンチャレンジカップ
41.2009年11月18日香港の旗香港 香港○4-0アジアカップ予選
42.2010年04月07日日本の旗大阪府長居陸上競技場 セルビア●0-3キリンチャレンジカップ
43.2010年05月24日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 韓国●0-2キリンチャレンジカップ
44.2010年05月30日オーストリアの旗グラーツ イングランド●1-2国際親善試合
45.2010年06月04日スイスの旗シオン コートジボワール●0-2国際親善試合
46.2010年06月14日南アフリカ共和国の旗ブルームフォンテーン カメルーン○1-0ワールドカップ
47.2010年06月19日南アフリカ共和国の旗ダーバン オランダ●0-1ワールドカップ
48.2010年06月24日南アフリカ共和国の旗ルステンブルク デンマーク○3-1ワールドカップ
49.2010年06月29日南アフリカ共和国の旗プレトリア パラグアイ△0-0(PK3-5)ワールドカップ
50.2010年10月08日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 アルゼンチン○1-0アルベルト・ザッケローニキリンチャレンジカップ
51.2011年08月10日日本の旗北海道札幌ドーム 韓国○3-0キリンチャレンジカップ
52.2011年09月06日ウズベキスタンの旗タシケント ウズベキスタン△1-1ワールドカップ予選
53.2011年10月07日日本の旗兵庫県御崎公園球技場 ベトナム○1-0キリンチャレンジカップ
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ゴール

さらに見る #, 開催年月日 ...
#開催年月日開催地対戦国勝敗試合概要
1.2006年8月16日日本、新潟市イエメンの旗 イエメン○2-0AFCアジアカップ2007 (予選)
2.2007年7月25日ベトナム、ハノイサウジアラビアの旗 サウジアラビア●2-3AFCアジアカップ2007準決勝
3.2009年5月27日日本、大阪市チリの旗 チリ○4-0キリンカップ
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指導歴

  • 2022年 日本サッカー協会 ロールモデルコーチ
  • 2022年 - 浦和レッズ
    • 2022年 - 2024年 ユース コーチ
    • 2025年 トップチーム ロールモデルコーチ
    • 2025年 - ユース 監督

タイトル

チーム

ジェフユナイテッド千葉
浦和レッズ

個人

書籍

脚注

関連項目

外部リンク

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