黒川調査団
From Wikipedia, the free encyclopedia
四日市地区大気汚染特別調査会
ばい煙規制法は、ばい煙による汚染の著しい地域またはそのおそれのある地域を指定地域とし、様々な規制をかける法律である[1]。ばい煙規制法の第一次指定地域には京浜、阪神、北九州が指定されていたが、四日市コンビナートのある三重県四日市市は指定されていなかった[2]。三重県と四日市市は、ばい煙による局地的な公害が深刻化していた四日市市のばい煙規制法適用地域への指定を強く要望した[3]。1963年9月、要望を受けた通商産業省は燃焼工学の権威である工業技術院院長・黒川真武(工学博士)を団長として、八委員と四専門員の計十三人から成る「四日市地区大気汚染特別調査会」を発足させた[4]。
1963年11月に調査団による四日市市での各専門分野からの多角的総合的な調査が実施された[5]。調査団の報告書は四日市市の大気汚染を防止するための対策として、排出基準の強化と処理施設の設置、都市計画の再検討、住宅地帯の分離、緑地帯の設置、住居の集団移転、被害者治療施設の設置、公害防止施設整備資金についての助成措置などの諸点について勧告するとともに、今後の他地域での工業立地に際しては、立地計画段階での公害の未然防止のための強力な行政指導、公害対策を折り込んだ合理的な都市計画の策定、防除技術の開発研究の促進などの必要性などの10項目の勧告がなされ企業、行政などが実施すべき公害防止対策が示された[3][5]。黒川団長の指導力は卓越し、電力系の委員(東大教授)の発言が討議の紛糾を招く中、語気を強くし、その後の大気汚染対策に影響を与える提言をまとめあげた[6]。 この調査は四日市市のみならず、その後の大規模な工業立地に際しての総合的な公害対策の基本方向を示す点で大きな影響を与え、国、地方公共団体等において、各種の専門家による総合的な調査が実施される事例が増加していった。また、硫黄酸化物、一酸化炭素等による大気汚染の各種影響調査も盛んに行なわれるようになった[5]。
沼津・三島地区産業公害調査団
静岡県三島市、沼津市、駿東郡清水町では1963年末に国から東駿河湾地区を工業整備特別地域に指定され、四日市コンビナートを上回る石油コンビナート建設が計画された[7][8]。だが水不足や二酸化硫黄の影響などの様々な問題があり2市1町では石油コンビナート反対闘争が広がっていた[7]。反対闘争に対して政府が黒川を団長とした「沼津・三島地区産業公害調査団」を編成した。調査団はヘリコプターを飛ばし、風洞実験をおこなうなどの調査をした後、事前に措置を講ずれば公害は防除しうると結果を発表した。
一方、地元では三島市長・長谷川泰三の政治判断で、国立遺伝学研究所の松村清二を団長に、静岡県立沼津工業高等学校の教師らで構成された通称「松村調査団」がつくられた。2つの調査団の報告書には以下の特徴があった。
黒川調査団の報告書
- 濃度規制を強く出している
- 規制の可能性等にはふれずに勧告を多く出している。
- 企業の計画を容認している
松村調査団の報告書
- 総量規制を強く出している
- 総合的で現実性を重視し、調査の現地主義を強く出している。
- 計画を批判し、市民に警告をしている。
そして、気象データなどは少なくとも一か年四季の変化が必要であり、農業、水産および公衆衛生に対する影響なども短期間に実験することは不可能であると、総合的科学的事前調査であることを前面に出している黒川調査団へブレーキをかけた[9]。結果、住民の反対が強く石油コンビナートの建設計画は撤回された[10]。