1955年の日本の女性史

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本項目1955年の日本の女性史(1955ねんのにほんのじょせいし)では、1955年(昭和30年)の日本における女性に関するできごとを時系列的に挙げる。参考文献は日本の女性史年表を参照のこと。

本項目は歴史研究としての女性史ではなく、日本における女性に関するできごとをある体系に基づいて述べようとするものではない。
  • 1月4日 佐賀関精錬所で共働き女子の解雇反対闘争。
  • 各地で母と女教師の会がもたれる。1月14-15日 近畿地区、滋賀で。1月14-16日 岐阜県。1月23日 北陸地区、富山で。2月28日 東海地区。
  • 1月16-24日 第1回国際大学婦人協会アジア地域会議に野見山不二ら3人出席、マニラで。
  • 1月29日 公明選挙推進全国婦人中央会議、主婦連・日本婦人有権者同盟・地婦連主催。地婦連「選ぶべからず12章」を作成。
  • 2月17日 聖母の園養老院で火災、老女性96人焼死、横浜で。
  • 2月19日 一票を生かす婦人大会、婦団連など20団体、1200人参加。
  • 2月- 大阪美容連合会、中小炭鉱地帯の困窮家庭の少女150人を引き取る。
  • 2月- 石垣綾子「主婦第二職業論」発表、主婦論争始まる。
 石垣綾子が雑誌『婦人公論』誌上で「主婦は本職の職業をもった上でなされる第二の職業」であると述べたことが反響を呼び、いわゆる「主婦論争」が起こった。
 坂西志保は「主婦は立派な社会人」と反論、島津千利世が「家事労働は主婦の天職ではない」と論ずるなど、主婦論はジャーナリズムを賑わし、民科婦人問題部会も討論会を数回開催した。
  • 3月8日 国際婦人デー、婦民が中心に文化祭など。
  • 3月8日 社会教育審議会、文部省に「純潔教育の進め方」提出、純潔教育の普及・徹底を建議。
  • 3月17日 婦人有権者大会、YMCA・日本キリスト教婦人矯風会・大学婦人協会・婦人平和協会・日本婦人有権者同盟主催。売春禁止法制定促進・家族制度復活反対などを討議、地方選挙に婦人代表を多数選出するための申し合わせ、600人参加。
  • 3月19日 日本母親大会準備会結成、日本教育会館で、婦団連・日教組・日本子供を守る会等60団体参加。日本母親大会の準備とともに、世界母親大会代表も選出。
世界母親大会代表の選出の際、岩手県の土川マツエが農村代表として候補者に挙がったが、言葉がズーズー弁であること・常にもんぺ姿なので大会にももんぺ姿で行くであろうという理由で代表選出に反対意見が強かったが、ズーズー弁で何故悪い・もんぺ姿で何故悪いと論議になり、20数時間かけた討論の末に彼女の代表選出を決定したという。インテリ出身者を中心とするいわゆる先進的な婦人運動家達の成長の過程を示すようなエピソードである。
  • 3月22日 宝塚歌劇団天津乙女以下20人がハワイ公演に出発。宝塚歌劇団、戦後初の海外公演。
  • 3月26日 第1回東京母と女教師の会
  • 3月27日 第1回関東地区母と女教師の会、前橋で。12月4日 第2回。
  • 3月- 全電通(現・NTT労働組合)、全国5箇所の「試行」保育所を実現させる。職場の保育所づくり活発化。

4-6月

  • 4月1日 全電通、第3回母体保護月間で生理休暇50%取得運動。
  • 4月1日 家族制度復活反対婦人の集い、500人参加。
  • 4月1日 国連「婦人参政権に関する条約」に日本加盟。6月3日 国会で承認。
  • 4月12日 全日本仏教徒婦人連盟結成大会、会長大谷智子
  • 4月19日 大田区少女売買事件、少女の逃亡により明るみに出る。
  • 4月- 丹頂(現・マンダム)、女性用化粧品製造を止め男性整髪料専門に転換。
  • 5月4日 フィリピンの戦争未亡人のノルマンデー夫人ら10人来日、大学婦人協会ら25団体の招待。
  • 5月5日 "原爆乙女"25人、ノーマン・カズンズ氏の世話で治療のため渡米。
  • 5月 東京地裁で離婚請求の制限判決、裁判官の職権乱用とみられ悪評を呼ぶ。
  • 5月- 地区別婦人学級指導者会議、文部省主催。
婦人学級の全国的再編成が目的。1956年度の婦人学級数18,340、参加人員277万人。
  • 6月1日 働く母の会共同保育所第1号として、中央線グループが大和町託児所を開設。
  • 6月1日 群馬県で産休補助教員制度が実施される。
  • 6月1-2日 日本助産婦全国大会、約1000人参加。妊娠中絶が増加する現状に対して母性保護を決議、受胎調節実施指導にのりだす。
  • 6月7-9日 第1回日本母親大会、東京豊島公会堂で、2000人参加、うち地方代表800人。
議長団に久布白落実小笠原貞子・櫛田ふき等。
子供を守る・婦人の生活と権利・平和をテーマとする3分科会。生活苦・失業・炭鉱地帯の窮乏・子供の教育・原爆や基地・平和の問題等、訴えや報告で3日間の会場は異常な熱気に覆われ、演壇近くのマイクを目指し発言待ちの女性たちの列がずらりとできたという。託児所も設置された。
  • 6月7日 新生活推進大会、主婦連主催。政府代表も参加。
この流れを受けて、9月30日 財団法人新生活運動協会発足、会長久留島秀三郎、理事奥むめお、山高しげり、藤田たき等。協会は「生活者である国民一人ひとりがそれぞれの生活をめぐる身近な問題について話し合い、集団の力で明るい地域社会をつくりあげる」運動であると規定。年額500万円の政府補助費を受けて、一部を主婦連・地婦連・生活改善普及会等に配布した。
同日に開催された日本母親大会・新生活推進大会の2つの大会は、日本の婦人運動のその後の2つの流れを象徴した。
  • 6月10日 売春防止法制定促進大会、25団体参加。政府に対し公約実現の猛運動を展開することを決定。
  • 6月12日 「草の実会」総会、朝日新聞『ひととき欄』投稿者中心の組織。
 「お互いの向上をはかり、手をつないで世の中を明るくする」というのが会の趣旨で、 機関誌『草の実』を創刊。会員は東京都が中心だったが、次第に全国に広がり1958年には会員数約1,500名を数えた。毎月地域別集会が開かれ、教育・社会科学・老人問題・生活記録・詩などの研究グループも生れた。
  • 6月12日 京都市、幼児をかかえた日雇い労務婦人のため、テント張りの無料保育所開設。

7-9月

10-12月

この年

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