1974年のスポーツ
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1974年のスポーツでは、1974年(昭和49年)のスポーツ関連の出来事についてまとめる。
1974年前後:1973年のスポーツ - 1974年のスポーツ - 1975年のスポーツ
- 1月10日 - 日本プロ野球で投手のセーブ記録採用
- 3月4日 - 日本高等学校野球連盟、公式試合で金属バット許可
- 4月8日 - メジャーリーグ・アトランタ・ブレーブスのハンク・アーロン、ベーブ・ルースの持つ通算本塁打記録を更新
- 4月11日 - ボクシングWBC世界ライト級タイトルマッチで、挑戦者ガッツ石松がKO勝利[1]
- 4月15日 - ゴーマン美智子がボストンマラソン優勝
- 5月1日 - 日本初の身障者専用スポーツ施設「大阪身障者スポーツセンター」オープン
- 5月4日 - 日本女性登山隊、マナスル(8156m)登頂成功
- 7月24日 - 北の湖敏満、21歳2ヶ月で最年少横綱に
- 10月2日 - サッカーのペレ引退
- 10月3日 - 柴田国明がラミロ・ボラニョスを15RKOでやぶり、2度目の防衛に成功した(WBC世界Jライト級タイトルマッチ)[2]
- 10月14日 - 読売ジャイアンツの長嶋茂雄引退
- 10月21日 - 国際オリンピック委員会、第75次総会でアマチュア規定を改正
- 10月27日 - バレーボール世界選手権で日本女子がソ連に勝ち7年ぶり3度目の王座
- 10月30日 - モハメド・アリ、7年ぶりにヘビー級チャンピオンに返り咲く
- 11月18日 - パシフィック・リーグ、来年度から指名打者制度の採用を決定
- 11月25日~12月1日 - 第1回世界スポーツ科学会議、モスクワで開催
- 12月15日 - 競馬のハイセイコー引退
総合競技大会
アイスホッケー
- スタンレーカップ決勝(1973-1974シーズン)
- フィラデルフィア・フライヤーズ (4勝2敗) ボストン・ブルーインズ
アメリカンフットボール
- 第8回スーパーボウル(1月13日)
- マイアミ・ドルフィンズ(AFC) 24-7 ミネソタ・バイキングズ(NFC)
大相撲
→「1974年の相撲」を参照
競馬
- 日本ダービーでは、皐月賞まで無敗のキタノカチドキが圧倒的1番人気だった。しかし、コーネルランサー、インターグッドと入り、キタノカチドキが3着に敗れる大波乱となった。
ゴルフ
自転車競技
サッカー
- インターコンチネンタルカップ(現在のトヨタカップ)アトレティコ・マドリー(初優勝)
- 第10回FIFAワールドカップ決勝(西ドイツ・7月7日)
- 第53回天皇杯全日本サッカー選手権大会決勝
- 日本サッカーリーグ
テニス
グランドスラム
- 全豪オープン 男子単優勝:ジミー・コナーズ(アメリカ)、女子単優勝:イボンヌ・グーラゴング(オーストラリア)
- 全仏オープン 男子単優勝:ビョルン・ボルグ(スウェーデン)、女子単優勝:クリス・エバート(アメリカ)
- ウィンブルドン 男子単優勝:ジミー・コナーズ(アメリカ)、女子単優勝:クリス・エバート(アメリカ)
- 全米オープン 男子単優勝:ジミー・コナーズ(アメリカ)、女子単優勝:ビリー・ジーン・キング(アメリカ)
コナーズが4大大会年間3冠を達成。唯一逃した全仏オープンの優勝者ボルグも、これが4大大会初優勝であった。この頃、コナーズとエバートは私生活でも交際中の“ビッグ・カップル”だった。
バスケットボール
- NBAファイナル(1973-1974シーズン)
- ボストン・セルティックス(東) (4勝3敗) ミルウォーキー・バックス(西)
バレーボール
→「1974年のバレーボール」を参照
ボクシング
- 柴田国明がラミロ・ボラニョス(エクアドル)を15RKOでやぶり、2度目の防衛に成功した(WBC世界Jライト級タイトルマッチ)。14Rまで審判3人が柴田有利の採点をしたとみられる試合展開だった。しかし柴田は、最終ラウンドで守りに入らず、果敢に攻め込んでKO勝ちを収めている。