七島藺は、江戸時代の1660年頃から豊後国(現在の大分県)の府内藩、日出藩、杵築藩で栽培が行われており、以来、昭和に至るまで特産品として全国に販売されていた。ピーク時の生産量は500万畳を超え、日本一であった[5]。
しかし、栽培のしやすさや織機による自動化のために、畳表の原材料は七島藺から藺草に移行した上、生活環境の変化から畳自体の需要も減少し、七島藺表の生産は衰退[5]。現在では、国東市及び杵築市で約10戸が合計約1ヘクタールを生産するのみとなり[1]、七島藺表の生産量も年間3,000枚弱にとどまっている[5]。
近年、七島藺表の畳は琉球畳として再び注目を浴びるようになり、消費者の間での自然志向や本物志向の高まりや、中国産琉球畳表への不信もあって、需要は大幅に増加している。しかし、生産者の高齢化や機械化の遅れなどにより、十分に対応できていないのが現状である[5]。