奥久慈しゃも
From Wikipedia, the free encyclopedia
歴史
1985年に「奥久慈しゃも」として生産、販売が本格的に行われるようになる[2]。
昭和60年代にしゃも弁当が人気を集めるようになり、大阪で開催された地鶏コンテストでは奥久慈しゃもが1位を獲得した[4]。東京の鶏料理店で奥久慈しゃもが使われるようになると徐々に評価を高め、地元でも売れるようになった[4]。
2011年の福島第一原子力発電所事故に関連する風評被害のために売り上げが減少し、2019年の令和元年東日本台風被害や同年末からのコロナ禍によって飲食店からの需要が大きく落ち込んだ[3][4]。
2018年に地鶏としては日本で初めて農林水産省の地理的表示保護制度の対象として登録された[3]。これによってブランドが日本全国に知れると共に需要が高まり、生産の拡大が求められるようになった[3]。奥久慈しゃも生産組合では生産入門講座を開催したり、新規参入の生産者に対して1年目のヒナ代を最大120万円補助する支援を行っている[3]。茨城県県北地域は人口の減少も続いているが、こういった施策によって、地元の茨城県立大子清流高等学校新卒生が組合に就職するなど、14年ぶりに新たな生産者が参入している[3]。2024年の生産量はピーク時の年間生産量、約5万羽に戻る見込みとなっている[3]。
