アラミス・ラミレス

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生年月日 (1978-06-25) 1978年6月25日(47歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
210 lb =約95.3 kg
アラミス・ラミレス
Aramis Ramírez
ピッツバーグ・パイレーツ時代
(2015年9月22日)
基本情報
国籍 ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国
出身地 サントドミンゴ
生年月日 (1978-06-25) 1978年6月25日(47歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
210 lb =約95.3 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 三塁手
プロ入り 1994年 アマチュア・フリーエージェントとしてピッツバーグ・パイレーツと契約
初出場 1998年5月26日
最終出場 2015年10月7日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

アラミス・ニン・ラミレスAramis Nin Ramírez, 1978年6月25日 - )はドミニカ共和国サントドミンゴ出身の元プロ野球選手三塁手)。右投右打。

プロ入りとパイレーツ時代

1994年、16歳の時にピッツバーグ・パイレーツに入団。傘下のA+級リンチバーグ・ヒルキャッツ時代の1997年には137試合に出場して、打率.278、29本塁打、114打点を記録、この年のリーグMVPを獲得した。その後、プロ4年目となる1998年5月26日のミルウォーキー・ブルワーズ戦でメジャーデビュー。これは球団史上1974年9月2日にミゲール・ディローンがメジャーデビューして以降では最年少の記録となった[1]。その後、シーズンでは72試合に出場し、打率.235、72三振と荒削りな面が目立ったが、6本塁打、24打点の成績でデビュー1年目を終えた。

1999年は、チームに同じ三塁手のエド・スプレイグが加入したことで、シーズンの大半をAAA級ナッシュビル・サウンズで過ごすことになった。AAA級ナッシュビルでは131試合の出場で、打率.328、21本塁打、74打点を記録。シーズン終盤にはメジャーに昇格し、三塁手のレギュラーとして18試合に出場したものの、打率.179と精彩を欠いた。

2000年は開幕をメジャーで迎えたが、4月を終わった時点で打率.167とほとんど結果を残せず、再びAAA級ナッシュビルに降格。しかし6月半ばにメジャーに再昇格し、8月下旬の故障者リスト入りまでの73試合の出場で、打率.256、6本塁打、35打点を記録した。

2001年、新本拠地となるPNCパークが開場し、4月8日のヒューストン・アストロズ戦では球団タイ記録となる1試合3本塁打を記録するなど[2]、開幕から好調を維持した。最終的に自身初となる3割・30本塁打・100打点を達成し、三塁手として球団史上1930年パイ・トレイナーが119打点を記録して以降最も多い112打点を記録した[2]

2002年はシーズン序盤こそ好成績を残していたが、中盤から一気に調子を落とし、最終的に規定打席到達者では最低となる打率.234を記録してしまった。翌2003年も5月中旬まで打率2割台前半と不調が続いていたものの、そこから一気に固め打ちを行い、7月には打率3割台まで上昇した。

カブス時代

シカゴ・カブス時代
(2007年7月19日)

2003年7月23日にケニー・ロフトンと共に2対3のトレードで、シカゴ・カブスへと移籍。移籍後も好調を維持し、63試合で15本塁打を記録した。その後、初となるポストシーズンにも出場を果たし、フロリダ・マーリンズとのリーグ優勝決定戦では3本塁打の活躍を見せた。

2004年、3年ぶりに3割・30本塁打・100打点を達成し、1965年ロン・サントが記録した33本塁打を上回るカブスの三塁手として新記録となる36本塁打を記録[3]。9月16日のレッズ戦では3本塁打、1二塁打で球団タイ記録となる1試合14塁打を記録している[3][4]

2005年は初選出となったオールスターで負傷のスコット・ローレンに代わり三塁手として先発出場[5]。8月24日のアトランタ・ブレーブス戦で初回を終えた時点で負傷交代。翌25日に左大腿四頭筋の負傷により故障者リスト入りし、シーズンを終えた[6]。2004年から2006年まで3年連続で30本塁打・90打点を記録、打率も3割前後で安定している。2004年と2005年は共に、全試合に出場していれば、40本塁打を越えるペースで打っていた。

2006年はチームのもう1人の主砲であるデレク・リーが故障したが、38本塁打、119打点といずれも自己ベストとなる成績を残した。シーズン終了後、FAを行使するものの、11月12日にカブスと5年約7500万ドル(6年目は球団とラミレス双方にオプション)の契約に合意し、残留を決めた[7]

2007年は、チームにアルフォンソ・ソリアーノが加わり、リーと共に強力なクリーンナップを形成。7月には新たに設けられた月間賞である「クラッチ・パフォーマー・オブ・ザ・マンス」に選出されるなど、勝負強さを発揮した。最終的に膝の故障による途中離脱もあり、本塁打こそ4年ぶりに30本を切ってしまったが、3割・100打点を記録。リーグ「最狭」と言われていた三塁守備も改善され、リーグ平均の指標に近づくなど守備面でも評価を上げるシーズンとなった[8]

2008年は、打率こそ.289に止まり、2年連続での打率3割超えとはならなかったものの、自己最多の74四球を記録し、出塁率も自己最高の.380を記録。本塁打と打点は前年の数字に上積みし、27本塁打、111打点という成績でシーズンを終えた。また、得点圏では.310とよく打ち、シーズンオフにはハンク・アーロン賞に選出された。

2009年、打撃好調を維持していたが、故障の影響でシーズン約半分を欠場。それでも打率.317、15本塁打、65打点という成績を記録。ほぼ半分で記録した成績なので、単純に2倍すると30本塁打・100打点は記録出来るペースだった。

2010年、2年ぶりに規定打席に到達したが、打撃は低調で打率.241に留まった。持ち前のパワーでは、25本塁打を放った。

2011年、打率も以前の水準に戻し、打率.306、26本塁打、93打点の好成績を記録。シーズン後には、自身初のシルバースラッガー賞三塁手部門)に選出された。

ブルワーズ時代

ミルウォーキー・ブルワーズ時代
(2012年4月22日)

2011年シーズン終了後の12月13日、ブルワーズと3年契約を結んだ。

移籍1年目となる2012年、直近5シーズンでは自己最多(タイ)となる149試合に出場。打率.300、27本塁打、105打点、9盗塁という好成績を記録。打率は2年連続で3割を超え、本塁打こそ30本には及ばなかったが、4年ぶりとなる100打点超えを果たした。盗塁も自己ベスト、二塁打50本はリーグ1位、守備面でも初めて+の守備防御点を記録するなど、攻守に充実したシーズンを過ごした。その活躍ぶりが評価され、シーズンオフにはMVP投票で9位につけた。

2013年、92試合の出場に留まり打率.283、12本塁打、49打点と、不完全燃焼となるシーズンを過ごした。

2015年2月27日、2015年シーズン限りで現役を引退する意向を表明した[9]

パイレーツ復帰

2015年7月23日、マイナー選手とのトレードで、プロ入り時の古巣・パイレーツに移籍した[10]

2015年11月5日、オフに故郷ドミニカのウィンターリーグであるリーガ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル・デ・ラ・レプブリカ・ドミニカーナティグレス・デル・リセイへの参加を最後に、現役を引退することを正式に表明した[11]

選手としての特徴

打撃

強靭なリストによって左翼方向への特大本塁打を放つことができる[12]。パイレーツにいた頃は積極的に打ちにいく典型的なフリースインガーだったが、カブスに移籍してからは選球眼を改善させ、ボール球の変化球を振ることが少なくなり、三振が減少し、四球が増加[12]。シーズン平均で60個程度と非常に少なくなった。

守備

守備に関しては、失策が多かったが、カブスに移籍してからは減少。肩は強いわりに併殺の成功数が少ない[13]。また、もともと遊撃手だったが、マイナー時代に三塁手にコンバートされた経緯がある。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1998 PIT 722752512359916882401111804723.235.296.351.646
1999 186456210210147001160090.179.254.250.504
2000 73274254196515261023500141005369.256.293.402.695
2001 1586556038318140034323112540440481009.300.350.536.885
2002 1425705225112226018202712001129389517.234.279.387.666
2003 96415375441052511216867110825376817.280.330.448.778
CHC 63255232316071151143911031703314.259.314.491.805
'03計 159670607751653222728210622011423109921.272.324.465.788
2004 1456065479917432136316103020749636225.318.373.578.951
2005 123506463721403003126392010235466015.302.358.568.926
2006 1576605949317338438333119210750496315.291.352.561.912
2007 1325585067215735426278101000543846613.310.366.549.915
2008 14964555497160441272871112206747119413.289.380.518.898
2009 823423064697141151586521002838438.317.389.516.905
2010 124507465611122112521083000534339010.241.294.452.745
2011 1496265658017335126288931108435106912.306.361.510.871
2012 MIL 14963057092171503273081059204443128214.300.360.540.901
2013 923513044386180121404901033608558.283.370.461.831
2014 1335314944714123115211663003212137518.285.330.427.757
2015 8130227925691801112042100316344212.247.295.430.725
PIT 56214196184813168133000215012611.245.299.413.712
'15計 137516475431173111720175100531356823.246.297.423.720
MLB:18年 2194898681361098230349524386400414172918387633581271238233.283.341.492.833
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績



三塁(3B)一塁(1B)
























1998 PIT 7129114913.941-
1999 17112932.930-
2000 7226128147.917-
2001 157923352533.945-
2002 131782551932.946-
2003 96622162310.924-
CHC 63351201014.939-
'03計 159973363324.929-
2004 144922211015.969-
2005 119702181614.947-
2006 1561102521317.965-
2007 126882601019.972-
2008 147832251817.945-
2009 79451371014.948-
2010 11856190169.939-
2011 145682161418.953-
2012 MIL 14371222714.977-
2013 804510377.955-
2014 126741841012.963-
2015 7440119514.970-
PIT 48228356.955527125.933
'15計 122622021020.964527125.933
MLB 211211973627244287.952527125.933
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰

記録

背番号

  • 16(1998年 - 2015年途中)
  • 17(2015年途中 - 同年終了)

脚注

関連項目

外部リンク

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