フレッド・クラーク

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生年月日 1872年10月3日
没年月日 (1960-08-14) 1960年8月14日(87歳没)
フレッド・クラーク
Fred Clarke
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アイオワ州ウィンターセット
生年月日 1872年10月3日
没年月日 (1960-08-14) 1960年8月14日(87歳没)
身長
体重
5' 10.5" =約179.1 cm
165 lb =約74.8 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手
初出場 1894年6月16日
最終出場 1915年9月23日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督歴
  • ルイビル・カーネルズ (1897 - 1899)
  • ピッツバーグ・パイレーツ (1900 - 1915)
殿堂表彰者
選出年 1945年
選出方法 ベテランズ委員会選出

フレッド・クラーク(Fred Clifford Clarke, 1872年10月3日 - 1960年8月14日)は、アメリカ合衆国アイオワ州ウィンターセット出身のプロ野球選手左翼手)、プロ野球監督。右投左打。

24歳から監督を兼任し1600勝以上を挙げる一方、通算打率3割以上の打撃成績を残した。

1894年、それまでアメリカ南部のサザンリーグでプレーしていたところをスカウトされ、カーネルズでデビュー。デビュー戦の5打数5安打は今もメジャー記録である。

1897年には、24歳でルイビル・カーネルズの監督を兼任し、自らも128試合に出場して打率.390、202安打をマークする。チームメートには、後の殿堂入り選手であるホーナス・ワグナールーブ・ワッデルらがいたのだが、1899年までのチーム順位は最高で12球団中9位と低迷し続けていた。カーネルズは1899年にピッツバーグ・パイレーツに吸収され消滅、クラークも翌年パイレーツに移籍した。その年パイレーツはリーグ2位になり、翌1901年からはナショナルリーグを3連覇する強豪に生まれ変わった。特に1902年のチーム成績は103勝36敗(勝率.741)で、負け数36は現在もリーグ最少記録である。

クラークは1903年に初めて開催されたワールドシリーズに出場。この時はサイ・ヤングを擁するボストン・アメリカンズの前に敗退した。自身2度目のワールドシリーズ出場は1909年タイ・カッブらを擁するデトロイト・タイガースを相手にし、クラーク自身も2本の本塁打を放つなどの活躍をしてチームをワールドシリーズ制覇へ導く。監督としてリーグ優勝を4度経験する一方で、打率3割以上のシーズンが11度など、選手としても高いパフォーマンスを維持し続けていた。

1915年に現役を退いた後はパイレーツのコーチ、およびルイビルからのオーナーだったバーニー・ドレイファスの側近として、パイレーツのチーム経営にも参画する。1945年、ベテランズ委員会によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出された。1960年カンザス州で87歳で死去。メジャーリーグ1年目の時、クラークはカンザス州に"Little Pirate Ranch"と名づけた小さな農場を購入していた。ここは野球界から引退した後の彼が生活し、その生涯を閉じた場所でもある。

詳細情報

関連項目

外部リンク

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