ブルックス・ロビンソン

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生年月日 (1937-05-18) 1937年5月18日
没年月日 (2023-09-26) 2023年9月26日(86歳没)
ブルックス・ロビンソン
Brooks Robinson
2010年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アメリカ合衆国の旗 アーカンソー州リトルロック
生年月日 (1937-05-18) 1937年5月18日
没年月日 (2023-09-26) 2023年9月26日(86歳没)
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 三塁手
プロ入り 1955年
初出場 1955年9月17日
最終出場 1977年8月13日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
殿堂表彰者
選出年 1983年
得票率 91.98%
選出方法 BBWAA選出

ブルックス・カルバート・ロビンソン・ジュニアBrooks Calbert Robinson Jr., 1937年5月18日 - 2023年9月26日[1])は、プロ野球選手三塁手)。右投右打。

ニックネームは"The Human Vacuum Cleaner"(人間掃除機)。23年間にわたるキャリアを一貫してボルチモア・オリオールズでプレーしたフランチャイズ・プレーヤー

1955年、高校卒業と同時にボルチモア・オリオールズと契約し、同年9月17日にメジャーデビュー。以来オリオールズ一筋に23年間プレーした。

1963年

1966年シンシナティ・レッズから移籍してきたフランク・ロビンソンと共に「ロビンソン・コンビ」として大活躍した。フランクは移籍してきた1年目に三冠王に輝き、ブルックスも打率.269、23本塁打、100打点を記録し、チームはボルチモア移転後初となるリーグ優勝。ワールドシリーズでもロサンゼルス・ドジャースを4連勝で破り、球団初の世界一に輝いた。

1970年ワールドシリーズでは攻守にわたる活躍でレッズを4勝1敗で破って2度目の世界一に輝き、シリーズMVPに選出された。レッズのスパーキー・アンダーソン監督をして「ロビンソン1人に負けた」と言わしめた。

三塁手としてはその守備が高く評価され、「人間掃除機(The Human Vacuum Cleaner)」と呼ばれた。ゴールドグラブ賞は16年連続で受賞。受賞回数16回は、ジム・カート(投手)と並び、通算18回のグレッグ・マダックス(投手)に次いで、歴代2位タイの記録。野手としては最多受賞である。日本でも長嶋茂雄がロビンソンのフィールディングを手本にしていたといわれる。

1975年から成績が低迷し始め、1977年は開幕から絶不調で、シーズン途中の8月13日の試合を最後に現役を引退した。同年、自身の背番号5』がフランク・ロビンソンの『20』に続きオリオールズ2番目の永久欠番に指定された。引退後には自伝"Third Base is My Home."を出版した。

ロビンソンの背番号「5」。
ボルチモア・オリオールズの永久欠番1977年指定。

通算成績は2896試合出場、10654打数2848安打(打率.2673)、268本塁打、1357打点。多くのオリオールズの球団記録を保持していたが後にカル・リプケン・ジュニアによってすべて塗り替えられている。1995年、リプケン・ジュニアが連続試合出場記録を更新した際のセレモニーでは「ミスター・オリオールはかつて私のことだったが、もはや今はカルのものだ」とのコメントを残した。

1983年野球殿堂入り。通算打率.2673は、殿堂入りを果たした内野手および外野手の中では、後に殿堂入りするハーモン・キルブルー(.256)、ルイス・アパリシオ(.2616)、オジー・スミス(.2618)に次いで4番目に低く、守備力への評価が高い選出であると言える。「テッド・ウィリアムスの打撃理論を本人から聞いたが全く理解できず、守備を重視するプレイスタイルになった」とロビンソンはコメント。

2023年9月26日死去。86歳没[1]

ちなみに、三重殺打を4度も放っている。これは2008年現在でもMLB最多である。

詳細情報

脚注

外部リンク

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