ディエゴマー・マークウェル

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生年月日 (1980-08-08) 1980年8月8日(45歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
195 lb =約88.5 kg
ディエゴマー・マークウェル
Diegomar Markwell
基本情報
国籍 オランダの旗 オランダ
出身地 オランダ領アンティルの旗 オランダ領アンティル自治領シャープワイク(現:キュラソーの旗 キュラソー
生年月日 (1980-08-08) 1980年8月8日(45歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
195 lb =約88.5 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1997年 アマチュアFA
初出場 CPBL / 2007年3月21日
最終出場 CPBL / 2007年3月31日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム オランダの旗 オランダ
五輪 2004年
WBC 2006年2009年2013年2017年
プレミア12 2015年2019年
獲得メダル
男子 野球
オランダの旗 オランダ
IBAFワールドカップ
2011野球
ヨーロッパ野球選手権大会
2014野球
2016野球
2019野球
ハーレムベースボールウィーク
2016野球
フランス国際野球大会
2014野球
2016野球

ディエゴマー・レイムンド・マークウェル(Diegomar Raymundo Markwell, 1980年8月8日 - )は、オランダ領アンティルキュラソー島シャープワイク出身の元野球選手投手)。左投げ左打ち。

台湾球界での登録名は威爾

プロ入りとブルージェイズ傘下時代

トロント・ブルージェイズと契約を結びプロ入りした。当時、17歳だった[1]

1997年は傘下ショートシーズンAのセントキャサリンズ・ブルージェイズでプレーした。同年は16試合(11試合で先発)登板し、1勝6敗、防御率4.96、33奪三振を記録した[2]

1998年も傘下ショートシーズンAのセントキャサリンズでプレーした。同年は17試合(5試合で先発)に登板し、5勝3敗、防御率5.54、40奪三振を記録した[2]

1999年も傘下ショートシーズンAのセントキャサリンズでプレーした。同年は14試合(13試合で先発)登板し、3勝4敗、防御率7.58、54奪三振を記録した[2]

2000年は傘下ショートシーズンAのクイーンズ・キングでプレーした。14試合(13試合で先発)登板し、4勝3敗、防御率3.05、66奪三振を記録した[2]。その後、傘下Aのヘイガーズタウン・サンズでプレーした。2試合に登板した[2]

2001年は傘下Aのチャールストン・アーリーキャッツでプレーした。22試合(21試合で先発)登板し、5勝7敗、防御率3.87、99奪三振を記録した[2]。その後、傘下アドバンスAのダニーデン・ブルージェイズでプレーした。5試合に先発登板し、3勝1敗、防御率3.21、26奪三振を記録した[2]

2002年は傘下AAのテネシー・スモーキーズでプレーした。同年は28試合(27試合で先発)登板し、13勝9敗1セーブ、防御率4.38、101奪三振を記録した[2]

2003年は傘下AAのニューヘブン・レイブンズ(現:ニューハンプシャー・フィッシャーキャッツ)でプレーした。同年は28試合(19試合で先発)登板し、5勝7敗、防御率7.04、69奪三振を記録した[2]。同年に解雇された[1]

ブルージェイズ退団後

2004年にはアテネオリンピックオランダ代表に選出された。この大会以降、オランダ代表の常連となる[1]

2006年3月に開催された第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)オランダ代表に選出された[3]

台湾球界時代

2007年3月9日に台湾の野球リーグである中華職業棒球大聯盟(CPBL)の誠泰コブラズに入団した。

しかし、成績は奮わず、同月29日に退団した。

オランダ球界時代

2007年シーズン途中に母国オランダのプロ野球リーグであるホーフトクラッセDOORネプテューヌスに入団した。同年は13試合に先発登板し、9勝1敗、防御率1.45、62奪三振を記録した[2]

2008年は15試合に先発登板し、9勝5敗、防御率2.37、51奪三振を記録した[2]

2009年開幕前の3月に開催された第2回WBCオランダ代表に選出され[4]、2大会連続2度目の選手となった。

シーズンでは15試合に先発登板し、10勝2敗、防御率1.82、83奪三振を記録した[2]

2010年は12試合に先発登板し、9勝1敗、防御率1.32、54奪三振を記録した[2]

2011年は13試合に先発登板し、10勝1敗、防御率1.71、50奪三振を記録した[2]

オフの9月20日に第39回IBAFワールドカップオランダ代表に選出された[5]。同大会ではヨーロッパの国としては、1938年大会イギリス代表以来73年ぶりの優勝を果たした。この栄誉を称えて代表24人全員に「サー」の爵位が贈られ[6]、マークウェルにも贈られた。

2012年は12試合に先発登板し、11勝1敗、防御率1.34、62奪三振を記録した[2]

2013年開幕前の3月に開催された第3回WBCオランダ代表に選出され[7]、3大会連続3度目の選出を果たした。

シーズンでは10試合に先発登板し、6勝2敗、防御率1.19、61奪三振を記録した[2]

オフにはベネズエラウィンターリーグであるリーガ・ベネソラーナ・デ・ベイスボル・プロフェシオナルに参加し、レオネス・デル・カラカスに所属した。ここでは、18試合(1試合で先発)登板し、1勝0敗、防御率3.97、8奪三振を記録した[2]

2014年9月2日に第1回フランス国際野球大会オランダ代表に選出された[8]。同大会でオランダ代表は初代優勝国となった[9]。大会終了後の12日に、今度は第33回ヨーロッパ野球選手権大会オランダ代表に選出された[10]。同大会ではオランダ代表が大会の記録である自国の20回の優勝を塗り替える3大会振り21度目の優勝を果たした[11]

2015年2月17日に「GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表」の欧州代表に選出された[12][13]。3月11日の第2戦に先発登板し[14]大島洋平を牽制死するなど[15]、3回を投げ勝利投手となっている[16]

4月13日に第15回ワールドポート・トーナメント第1回WBSCプレミア12のオランダ代表候補選手に選出された[17]

シーズンでは5月7日のファーセン・ピオニールス戦で、ネプテューヌスでの通算100勝を記録した[18]。6月30日に第15回ワールドポート・トーナメントオランダ代表に選出された[19]

オフの10月12日に第1回WBSCプレミア12のオランダ代表候補選手36名に選出され[20]、10月20日に第1回WBSCプレミア12のオランダ代表選手28名に選出された[21]

2016年1月18日にキューバ代表との強化試合のオランダ代表に選出された[22]が、同試合は雨天中止となった[23]。7月9日に第28回ハーレムベースボールウィークオランダ代表に選出された[24]。8月25日に第2回フランス国際野球大会オランダ代表に選出された[25]。9月7日に2016年ヨーロッパ野球選手権大会オランダ代表に選出された[26]。両大会で優勝を果たした[27]。10月18日に日本代表との強化試合のオランダ代表に選出された[28]

2017年開幕前の2月7日に同年のアメリカ遠征のオランダ代表に選出された[29]2月9日第4回WBCオランダ代表に選出され、4大会連続4度目の選出を果たした[30]。オフの10月13日にイタリア代表との親善試合である「ヨーロピアン・ベースボール・シリーズ」のオランダ代表に選出された[31]

2023年5月25日に現役引退を発表。今後はオランダ代表の投手コーチに就任する[32]

プレースタイル

サイド気味のフォームから140km/h前後のストレートスライダーを中心とした投球が特徴で、他にカーブチェンジアップを投げる。

詳細情報

脚注

外部リンク

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