デトロイトグランプリ
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| デトロイト市街地コース (1983-1988) | |
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| レース情報 | |
|---|---|
| 周回 | 63 |
| コース長 | 4.023 km (2.500 mi) |
| レース長 | 253.449 km (157.500 mi) |
| 開催回数 | 7[1] |
| 初回 | 1982年 |
| 最終開催 | 1988年 |
| 最多勝利 (ドライバー) |
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| 最多勝利 (コンストラクター) |
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| 最新開催(1988年): | |
| ポールポジション |
マクラーレン-ホンダ 1:37.041 |
| 決勝順位 |
1. マクラーレン-ホンダ 1:54:56.035 2. マクラーレン-ホンダ +38.713s 3. ベネトン-フォード +1 lap |
| ファステストラップ |
マクラーレン-ホンダ 1:44.836 |
デトロイトグランプリ(デトロイトGP、米: Detroit Grand Prix)は、1982年から1988年までアメリカ合衆国・ミシガン州デトロイトに特設したデトロイト市街地コースで開催されたF1世界選手権のレース。
文献により、1982-1984年のレースを「アメリカ東グランプリ」[注 1]、アメリカ国内で唯一の開催となった1985-1988年のレースを「アメリカグランプリ」と呼ぶ場合がある。
1973年のオイルショックにより、アメリカ国内の3大自動車メーカー(フォード、ゼネラルモーターズ、クライスラー)は苦境に陥り、さらに不況の影響によって失業者が急増し、デトロイトは経済的な地盤沈下に見舞われた。この危機を乗り切るため、1977年に「ルネサンス・センター」(現在のゼネラルモーターズ本社)が建設され、デトロイトの経済的復興を押し進めるため、アメリカ西グランプリを開催して知名度を上げたロングビーチのようにF1レースの開催を目指し、F1の興行権を握っていたFOCAのバーニー・エクレストンも開催地の拡大を目指していたこともあり、1982年からのF1開催にこぎつけた。これによりアメリカ西グランプリ、シーザーズ・パレスグランプリに続き、アメリカ国内で3つ目のレースが開催されることになった[4]。
前記したルネサンス・センターを囲んだダウンタウンに設置されたデトロイト市街地コースで開催されたが、路面は荒れていて[4]、コース幅が狭い箇所や厄介なコーナーが多く、かつ夏の6月に開催されたため高温多湿であったことから、多くのドライバーがメカニカルトラブルやウォールへの接触でリタイアを強いられた[5]。初年度の1982年は準備が整わず、エスケープゾーンやバリアの設置が不十分な状態であり、この問題を解消するためテスト走行を中止するほどだった。翌1983年は前年の問題を踏まえてコースレイアウトを変更し、路面も再舗装されて1988年まで開催されたが路面の荒れ方は変わらず、同年のレース終了後に仮設ピットの設備がもはやF1の基準を満たしていないとFISAに指摘され、主催者がベルアイル島に移転する案を提出したが交渉は決裂し、この年をもってF1の開催を終了した[4][5]。
翌1989年からは国内フォーミュラカーレースのCARTインディカー・ワールド・シリーズの一戦[注 2]となり、1992年にベルアイル島のベル・アイル・パーク市街地コースに舞台を移して行われたが、2023年からコースレイアウトが大幅に変更されたデトロイト市街地コースに戻っている[4]。
主な出来事
結果
| 年 | 決勝日 | ラウンド | サーキット | 優勝者 | コンストラクター | 結果 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1982 | 6月6日 | 7 | デトロイト | マクラーレン-フォード | 詳細 | |
| 1983 | 6月5日 | 7 | デトロイト | ティレル-フォード | 詳細 | |
| 1984 | 6月24日 | 8 | デトロイト | ブラバム-BMW | 詳細 | |
| 1985 | 6月23日 | 6 | デトロイト | ウィリアムズ-ホンダ | 詳細 | |
| 1986 | 6月22日 | 7 | デトロイト | ロータス-ルノー | 詳細 | |
| 1987 | 6月21日 | 6 | デトロイト | ロータス-ホンダ | 詳細 | |
| 1988 | 6月19日 | 6 | デトロイト | マクラーレン-ホンダ | 詳細 | |
| 出典: [6] | ||||||
開催サーキット
- デトロイト(1982)
- デトロイト(1983-1988)